FC2ブログ

単独行について

山行には二種類の形態がある。
それはズバリ、単独行とそれ以外。

山、それも特に冬山と対峙すると、えもいわれぬ緊張感、恐怖感がありますよね。得体の知れない圧力に押しつぶされそうな、あの独特な感じ。
山と対峙した時のこの感覚は、複数人でいればその人数で分担することが可能だ。人数が多ければ多いほど、一人一人の緊張感や恐怖感は薄まるわけです。二人より五人のほうが怖くない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というのと同じような心境です。

加藤文太郎のような単独行者が凄いのは、技術や体力ではなく(もちろんそれも大いにありますけど・・・)、そういう恐ろしい存在に単独で対峙できること、緊張感や恐怖感を独りで受け止められることです。

ちょっと話が飛びますが、よく遭難救助された人なんかが、「冬山がこんなに恐ろしいとは・・・」というようなことを言いますよね。今シーズンもボーダーの人が言っていたのを聞きました。
これ、ヤバイと思うんですよね。いや、技術や経験がどうこうという話ではなしに、「冬山=怖い」というのを本能的に感じられないというのは、動物としてヤバイのではなかろうかと。
無風快晴の穏やかな雪山しか見たことがなかったのだろうか。ちょっとでも曇ったり、晴れていても風があったりすれば、本能的にすごく厳しいものに見えるはずなんですけどね、冬山というのは。

単独行の場合、どんなにヤバイところでも誰にも確保してもらえないし、ラッセルを代わってくれる人もいない、もちろん荷物は一人で全部背負わなきゃならないし、何かあったらそれまでだ。
誰の力も借りられない・・・こんな恐ろしいことはない。
特に、山野井さんのように単独で高難度の登攀をこなしてしまうような人はもう、言い方が悪いけれど、頭のボルトが何本か外れているとしか思えない。
ザイルの力ってのは絶大で、ザイルさえ結んでいれば常人でもけっこう突っ込めてしまいますから。
もちろん、人並みはずれた技術や経験、体力といった裏付けがあってのことですけど、例えばドーンとぶっ立った巨大な壁(雪が着いていたり氷が着いていたり)を前にしたときに、まず求められるのは、それを独りで受け止められる精神力ではないでしょうか。単独行者というのは、この点が一番際立っている。

どこまでを単独行というのか、そんな定義はないわけですけど、例えばある岩壁を単独で登ったとして、それを撮影している人がいるような場合、技術的には単独登攀に違いないが、単独行というのとはちょっと違うと思う。また、たとえ別パーティーであっても、一時に何パーティーもが同じルートに入っている場合、これもまた違うのではないかと思う。
通信手段を持っていくことすらどうなのか。いざとなれば外界に助けを求められる、そういう保険手段であるわけですから。悪い言い方をすれば一種の逃げ道です。

必然的にスタイルにもかかわってくる。
高峰を登る際に、BC、C1、C2・・・ABCというようにルート工作と荷上げの登下降を繰り返して、ちょっとずつ前進する登り方を極地法とか包囲法といいますが、単独でこういう登り方はまずできないわけです。ベースを出たらそのままワンプッシュで登って下りてくる、必然的にそういうスタイルになる。
これ、要するにもっともシンプルでもっとも普通、もっとも自然な登り方です。アルパインスタイルと呼ばれます。
世界ではじめて8,000m峰を単独アルパインスタイルで登ったのは超人メスナーですね('78年のナンガ・パルバット)。
ちなみに、ラインホルト・メスナーとドイツ人のような名前ですが、イタリア人です。イタリアの南チロル出身でドイツ語圏ですけど。

時代はとうの昔にここまできている。もっとも単独でそんな高峰に登れるのは、限られた一部の超人だけですけど。
いずれにしても、単独行というものには孤立無援という要素が不可欠、というのが私個人の考えるところです。
関連記事
スポンサーサイト



Comment 0

There are no comments yet.

Leave a comment