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萩界隈散策

2013/4/13 土
始:9:15 ~ 終:17:20 走行:26km
~ 萩 ~ 美萩 ~ マリーナ萩

無風快晴!絶好の観光日和(笑)
萩は前回じっくり散策していたから軽く見てスルーするつもりだったのだけれど、なんだかんだでほぼ丸一日観光に費やしてしまった・・・。

昨日は絶好のタイミングで幕営したようだ。
テン場をあとにするとすぐに山越えの道となった。
これまで左手に見えていた山を越えて海沿いに出る。途中の道は驚くほど車が少ない。
現在、三隅~萩の間を山陰道という自動車専用道路が通っていて、無料で通行することができる。ほとんどの車はそちらを走っているというわけ。

萩というのはえらい山の中にある。
一方を海、三方を山に囲まれた盆地状のところで、陸路ではどこから入るにしても山越えとなる。よくこんなところに城を置いたものだと思うが、むろん望んでそうしたのではない。
普通に考えればより開けた山陽道側に城を置くのだろうが、山陽道側は望ましくない、と家康に釘をさされたためだ。
広島を居城にして中国に覇を唱えた毛利家が、僅か防長二州に押し込められ、山陽に城を置くことも許されなかったのだから、長州の徳川に対する恨みは根深かったに違いない。
同じ関ヶ原の負け組みでありながら、所領を安堵された薩摩とは対照的である。
島津の場合、敵陣への退却も天晴れであったわけだけれど、武力を背景にした外交によって所領安堵を勝ち取ったわけである。薩摩に逃げ帰ったあとも徹底抗戦の姿勢を崩さず、その武力を背景にしたたかな外交を推し進めた。結果、家康のほうが折れて所領安堵と相成った。

天晴れ。薩摩の外交術というのは、日本人離れしていて実に天晴れである。
幕末においても、もっとも大人の立ち振る舞いをしたのが薩摩であったと思う。
武士道とか仁義といった観点では、薩摩のやり方は非常に卑怯なものと映る。二枚舌外交であり、常に腹に一物、本音と建前は常に別といった行動であったから、あまりいい印象はない(反面、長州や会津がすごく純粋に映る)。
が、後になって振り返ってみれば、一番うまく立ち回ったのが薩摩であったのは疑いがない。
翻って戦後の日本の無様な外交を見るにつけ、政治家は薩摩の爪の垢でも煎じて飲んだほうがいいのではないかと思ってしまう。

萩への山越えの道中は、山間に小さな集落の点在する美しい風景が広がっている。
この景色・・・江戸の頃からほとんど変わってないのではないかと思えてくる。

橋本川を渡ると萩の城下町。
萩城跡や指月山を含め、城下は前回散策したから今回はパッと見てスルー。僅か三年半ほど前に来たときはなかった高杉晋作の像が建てられていた。
藩校明倫館の一部は、今でも小学校として使われている。その名も明倫小学校。こんな学校に通える子どもは幸せだな・・・。

中島となっている城下を横断し松本川を渡ると、松下村塾や松陰神社がある。ここも前回じっくり見たから神社に参拝してサッとスルー。
毛利家墓所・・・これを見たいのであるが、どの地図や案内板を見ても不思議と出ていない。
ガイドをしているNPOのおっちゃんに訊いてみると、墓所は三ヶ所に散らばっているらしい。松陰神社からほど近い東光寺がその一つということなので、そこへ行ってみる。
おっちゃん曰く、このあたりはもともと松本という地名であったらしい。それがいつの頃からか松下となり、松下村塾の名もそこから来ているのだそうだ。

東光寺へ向かう途中に、前回見られなかったところがいくつかある。
まずは伊藤博文の旧宅と、その隣に移設された別邸。別邸のほうは東京にあったものの一部を移設したものである。
建屋自体も見事なものであるが、それ以上に写真が興味深い。建屋の中に伊藤の貴重な写真が多数展示されている。これが非常に興味深い。

伊藤宅からすぐのところにあるのが玉木文之進の旧宅。
玉木文之進は松陰の叔父にして教育者、かつ松下村塾の創始者である。
さすがにここまで訪れる人はあまりいないが、ここにもNPOのおばちゃんがいて、声をかけられたのでいろいろと説明してもらった。
一通り説明してもらった後で家系図なんかを見ていたら、おばちゃんから質問。
「門下生のうちでは誰が好き?」
おばちゃんはおそらく相当の歴史好き。今で言えば歴女の走りといったところだ。
「門下生でですか・・・高杉ですかね」
と答えると、あまりにメジャーな名前だったからか、
「高杉晋作は人気あるわね・・・」
おばちゃんはちょっと不服そうだった。果たしておばちゃんは誰贔屓だったのだろうか・・・?
ちなみに、ここに来て初めて知ったのであるが、乃木希典も玉木文之進の教えを仰いだ一人だった。

ここに自転車を置かせてもらい、歩いて東光寺へ。
門からして堂々たる見事な寺である。黄檗宗(おうばくしゅう)という禅宗の一派の寺らしい。
寺の奥に、三代から十一代までの奇数代五代の藩主の墓がある。

寺を出てさらに山側へ坂を上ると、団子岩と呼ばれるところに出る。
ここに松陰の誕生地と墓地がある。
松陰は江戸の伝馬町で処刑されたわけであり、ここには遺髪が埋葬されているそうだ。
同じ場所に玉木文之進や高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿らの墓もある。
ちなみに、高杉の墓も下関の吉田にあるわけであるが、ここにはへその緒が埋葬されているということである。

この場所からの萩の眺めは実に美しい。
それにしても・・・周りは見事にぐるりと山に囲まれている。
長州人というと、自分の中での典型は桂小五郎で、どことなく線が細く神経質そうなイメージがあるのだが、そういった人間性の形成にはやはりこの風土が少なからず影響しているだろうと、山に囲まれた町を見ながら思った。

自転車のところに戻って北へ向かう。既にいい時間である。
買い出しを済ませてちょっと走るとR191に合流。これ以降、笠山までの間にいくつか公園のようなところがある。
その中の一つであるマリーナ萩。その駐車場の奥にある芝生の上に幕営した。
ちょっと道路に近くはあるが、今日もなかなか快適なテン場である。

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萩へ                               萩はえらい山の中・・・陸路ではどこから入るにしても山越えとなる

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城下には高杉晋作の旧宅や・・・                 桂小五郎の旧宅などがある

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こんな学校に通える子どもは幸せだ(明倫小学校)       松下村塾

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その隣に松陰神社が建てられた                  東光寺

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大雄宝殿の鬼瓦                        毛利家墓所(三代から十一代まで、奇数代五代の藩主の墓がある)

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亀の台座(後ろから見たところ)                 吉田松陰誕生地に建つ松陰の銅像

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そこからの萩の眺め                         マリーナ萩・・・なかなか快適

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日本海に日が沈んだ
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