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河西回廊 その17 支那人というのは・・・

2012/11/17 土
始:9:25 ~ 終:17:40 走行:93km
~ 通安駅 ~ 雲田 ~ 隴西県 ~ 鴛鴦 ~ 鴛鴦の先2km

昨晩は久しぶりに満天の星空だった。夜が明けても無風快晴。
7:30の気温-15℃。不思議とそこまでの寒さを感じない。

出だしの15kmは上りだった。
このあたりは南北に幾筋も山が連なっていて、山筋の間が涸れ川となっている。山筋のうちの一本の尾根上をS209が走っいる。そこを上る。
手持ちの地図と実際の道がだいぶ違っていて、実際には高速のG30はすぐ西隣の谷間を走っている。

尾根上を走るS209は眺めも日当たりも抜群。
見える景色というのがぶっ飛んでいて、見える範囲にある山の斜面はすべて段々畑になっている。自分のいる山はもちろん、涸れ川を挟んで東西両隣の山筋も、そのまた向こうの山筋も、すべて段々畑。
とんでもないスケールである。これほどの段々畑は見たことがない。いったいどうやって、どれだけの年月をかけて造られたものなのだろう・・・。
日本で例えるなら、中央アルプスの山脈が丸々すべて段々畑(ちょっと感じが違うか)、利根川を遡行して、源流部の山々の見える範囲がすべて段々畑(ディープな山ヤでないとイメージできないか)、鹿島槍~白馬の主脈上から見える支尾根のすべてが段々畑(これだ!)。
そんな感じのスケール。行けども行けども段々畑が続いている。
なだらかな山だから、段々畑の各棚はけっこう広い。全部を足したら途轍もない耕地面積になりそうだ。
見たところほぼずべてがトウモロコシ畑。緑の時季にはどんな景観になるのだろうか。

この段々畑をすべて人力で造ったのかと思うと気が遠くなる。
あまりに力業、あまりの人海戦術という支那の伝統がここでもいやというほど見て取れる。
もうね、支那人というのは手加減というものがない。下手に働き者であったりするから、土地さえあればどこでも耕してしまう。
支那では天然の森や林というものをまず目にしない。どこも畑か人工林。木があるとすれば人工的に植えられたもの。
もともとは森とか林が豊富にあったのではないかと思うのだが・・・すべて人民が耕してしまったのだと思う。
森や林がないから、野生の鳥や動物もまったく目にしない。気配も感じられない。人間以外の動物を見ないんだよね・・・。
段々畑を造るにしても、山や森を開拓するにしても、日本人ならここまで徹底的にやりつくしてしまうことは絶対ない。

おそらく、どこもかしこも耕してしまう人民に悪気というものはない。単なる気質や価値観の問題なのだと思う。
言わば自然に対する感覚が日本人とは180度違う。支那人には自然に対する尊崇や慈しみの念がないのだろう。宗教観に基づいた根源的な特性であると思う。
戦後のある時期からの反日教育というものを横に置いたとしても、このように土台の異なる人たちと同じ土俵で話をするのは難しい。土台が違うのだということを前提にして話をしないとまったく噛み合わないことになる。もうずっと昔、聖徳太子の頃から日本人は苦労してきたのだと思う。

農耕民族である漢族の視点からすると、北方の遊牧民というのはとんでもない悪者になっている。匈奴が北方遊牧民の代表なわけだが、このように彼らの呼称には酷くイメージの悪い漢字が当てられている。支那の文献を通して歴史を勉強するから、日本の学校で習う歴史でも北方の遊牧民というのはまずイメージが良くない。蛮族、といった印象であろう。
彼ら北方の民は時どき南にある漢族の地を侵し、略奪の限りを尽くした。それを防ぐために築かれたのが万里の長城だ。学校ではそのように習う。
が、本当に何の理由もなく山賊のように略奪に及んだのだろうか?彼らだけが100%加害者なのだろうか?
実際は、耕す場所のなくなった農民が北へ侵出して、耕してはいけない草原を耕してしまったからではないのか。何度警告してもわからないから、草原を守るために年に一度くらい武力行使に及んだのではないのか。単にそのついでに略奪行為があっただけなのではないのか。

このあたりのくだりについては、司馬遼太郎が「草原の記」の中で述べている。
この説には妙に説得力がある。
山だろうが耕せる場所はことごとく耕してしまう人民。非常に働き者な人民。
やることなすことすべてがあまりに力技で、程ほどということを知らない。手に負えない人海戦術。
尖閣諸島や南シナ海、チベット南のインド国境などなど・・・あまりに強引で身勝手な主張。
現代にも通ずるこれらのことを勘案する限り、「草原の記」の中で述べられていることはほぼその通りなのであろうと思わずにおれない。

山のピーク付近は風が強かった。
10kmほど下り、その後は緩いアップダウンの繰り返しになる。その間も段々畑は延々と続く・・・。

中国の坂は勾配が緩い。
日本のように険しい山がないということもあるのだが、少なくとも幹線を走っている限り、山越えといっても勾配はせいぜい3~4%といったところだ。
よって、辛いということはまずないし、山を走っていても山岳ステージといった感覚はまるでない。ただし、その分ダラダラと長い。緩~い上りが延々と続く。

最後にもうひと山越えると隴西県。
中心部を抜け、S209がG316とぶつかる手前で昼食兼夕食。包子の店に入る。鮮肉包子一品だけで勝負している店だった。
旨い!相変らず店の人は感じがいいし、定番の海苔のスープも美味。食後に水も6Lいただいた。
いつものように近所の商店で行動食を買い出しする。露店でミカンもたんまり買った。ミカンなんて2kgで7元である。

隴西県にて黄河支流の渭河に出た。ここから先は渭河沿いに西安まで下ることになる。
西安から先も、黄海まで基本的にもうずーっと下りとなるはず。この先大きな上りはもうないだろう。走るにつれて標高が下がり、暖かくなるはずだ。

渭河沿いを走るG316は、しばらくダート交じりで悪い。かつ、小さな村が連なっていて途切れない。
15kmほど走るとようやく人家が途切れ、道もまともになる。
水を少し余分に持っていたので、休憩のとき久々に頭を洗った。だいぶ南へ下り、日も長くなった。頭を洗う気にもなる。
鴛鴦の先2kmほどのところまで走り、渭河の川原近くの平坦地に幕営した。暖かいので、テントを張ってから今度は足を洗った。

自転車で旅をする限りは快適な国だ。
人はいいし、食べものは美味しい。テン場にもまったく困らない。
支那人の人のよさというのは、例えばイランなんかの人のよさとはまったく毛色が違う。向こうから無闇に干渉してくることはないのだが、こちらから道を聞いたりすれば親切に対応してくれる。このあたりは日本人の感覚に近いのではないかと思う(実際には日本人以上に他人のことに興味がないが)。
支那においては、言葉がわからないというのにベラベラ喋りまくられたり、ガキんちょやおっちゃんが自転車でシャカリキに追いかけてきたり追い抜いてみたり、といったことがまったくない。石を投げてくるようなクソガキもいない。
こちらも下手に気を遣う必要がないし、とても気楽に旅をすることができる。
21:00の気温-2.5℃。

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山筋のうちの一本の尾根上、そこを上ると・・・

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段々畑・・・

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段々畑・・・

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見える範囲にある山の斜面はすべて段々畑

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左も・・・                                 右も・・・どこもかしこも段々畑

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支那人というのは手加減というものがない 土地さえあればどこでも耕してしまう

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自然に対する尊崇や慈しみの念は微塵も感じられない 人間中心の儒教思想のなせる業だろう

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渭河の川原近くの平坦地に幕営
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