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異次元のホスピタリティー=イラン@キャラジのカゼム宅

2012/6/10 日
始:10:10 ~ 終:20:00 走行:91km
Qazvin ~ Kavandej ~ Abyek ~ Hashtguerd ~ Yengi-Emam ~ karaj

くもりのち晴れ。
8:30起床。美味しい朝食をいただいて10:10出発。出発前に、レザがマシュハドで買ったというボールペンをくれた。
車で幹線まで先導してくれ、そこでお別れ。

ここからは起伏のない退屈な道が続く。なんだか埃っぽい。
冷たいもの欲しさに途中寄った商店では、近くで仕事をしていたおっちゃんらが集まってきて、例によって「頭クルクルの奴らが云々・・・」と話していた。
イスラームの聖職者や政治家を指しているのだけれど、その仕草がお茶目で可笑しい。

暑くて食欲はあまりないのだが、アビイェクで食堂に寄って休憩がてら昼食にした。コーラは二人で1.5Lを軽々空けてしまう。店の人が食後にチャイをご馳走してくれた。
ここの水道水は何故だか茶色く濁っていたのだけれど、店の外に出たら近所の店の人たちがわらわらと集まってきて氷水をくれた。さらにはバラの花とか小さなアルバムとかいろいろ・・・。正直に言うと荷物になってしまうのだけれど、親切にいろいろしてくれるのはとても嬉しいことである。こういうところがすごいんだよな、イランは。

暑い最中をまた走る。朝のうちはそれでも曇っていてまだ走りやすかったのだが、午後になるとすっかり晴れた。
木陰とかバス停とか、のんびり休憩できる場所がない。よって主に商店に寄って休憩することになる。
アイスを買い食いするため寄った店のTVで男子バレーの日本 vs イラン戦がやっていて、休憩しながら暫し観戦。そこに、たまたま近所のチャイハーナから可愛らしい男の子が買い物に来た。自分らのことを見るとチャイハーナに誘ってくれ、言われるがまま男の子についていった。
感じのいいチャイハーナだった。チャイをご馳走になりながら、すっかりリラックスしてしばらく涼ませてもらった。
少年のお父さんがやっているチャイハーナで、少年とお兄さんが店を手伝っていた。兄弟はとてもいい子たちで、無口なお父さんも職人ぽくて好印象だった。
チャイのほかにもジュースやらサクランボやらいろいろご馳走になってしまった。

外はまだまだ暑い盛りで腰に根っこが生えそうになるが、お礼を言ってチャイハーナをあとにした。
自転車は先ほどの商店の前にお願いして置かせてもらっていたのであるが、店に戻るとおっちゃんが自転車に鎖と南京錠をかけてくれていた。いや、感激!
鍵もかけずに自転車から長時間離れてしまう自分らもどうかと思うのだけれど、イランに入ってから空気を読んでけっこう管理がずぼらになっている。

テヘランに近づくにつれ、だんだん車が増えてくる。町ばかりが連続して不快になるし、何よりテン場なんてないんじゃないのか、という雰囲気になってきた。
キャラジに入ると桁違いに交通量が増える。
途中、横を走る車から「日本人?」と日本語で声をかけられた。自転車をとめて話をすると、二年ほど日本で働いていたというハミドさんだった。
ハミドさんはテヘランに住んでいるらしく、「テヘランに来たらうちに来て」と言って携帯番号を教えてくれた。
明日、テヘランで会う約束をした。テヘランの地図を見て、「19:00頃エンゲラーブ広場から電話します」ということにした。

少し走って分岐で迷っていると、後ろから車のハミドさんがやって来てジュースやヒマワリの種を差し入れしてくれた。
近くのバス停でいただきながら少しお喋りをして別れた。その間にハミドさんに道も教えてもらった。
が、言われたとおりに走ったらアウトバーンに乗ってしまった。高架を走る完全なアウトバーン・・・ま、パトカーも何事もないかのように横をスルーしていくし、どうやら自転車も走れるらしいのだが、車が多くて合流や分岐のところが危険である。ハミドさんにしてみれば、最短距離で最もわかりやすい道を教えてくれたのだろうけど・・・。

キャラジは足がすくむほどの大都市だった。こりゃテヘランはどうなっちゃうんだろって感じ・・・。
車が多くて危険だし、高架の上を走っている限りテン場は絶望的。何より高架から降りられなくなるのが怖くて、キャラジの中心部でアウトバーンを降りた。
降りたところは大渋滞だった。車やらタクシーやらが何列にもビッシリ並んでいて、どこが車線なのかもよくわからない。自転車の走れるスペースもないし、そもそもどっちに走ればいいのかもわからない。テヘランまでアウトバーンを走るのが間違いないのだろうが、そろそろテン場を探さねばならない時間である。

とにもかくにも勘で走って大渋滞を抜け、最初に見かけたGSに寄った。トイレを借り、アイスにジュース、チャイまで飲んで一息つく。
GSの人に道を尋ねると、テヘランにはアウトバーンで行け、と教えてくれる。あ、やっぱそうですか・・・。
でも時間はもう19:00。テン場探しが先決だ。近くに公園があるか訊いてみると、この先にあると言うのでとにかくそっちに走ってみる。
見当たらない・・・。高架があったりしたから、きっと通り過ぎてしまったに違いない。

半ば途方に暮れてチャイハーナでひと休み。店の人にキャンプできそうなところがないか訊いていると、通りすがりの人が「うちに泊まっていけばいい」と・・・いや、なんかもう「なんでうちに来ないんだ」というくらいの勢いで、一瞬あっけに取られてしまった。
助かりました。即お言葉に甘えることにした。
その人の名はカゼム。英語を少しだけ話せる。明るく豪快な人で、ハザードを点けた車でノロノロ運転して家まで先導してくれた。

途中、幹線から折れた町中でまたも日本語で声をかけられた。アリさんという人なのだが、偶然にもカゼムの知り合いで、車の助手席に乗り込んで一緒にカゼムの家にやって来た。
カゼムの家は集合住宅のようなところだった。入口は狭かったのだけれど、中に自転車二台を置かせてもらえた。一階が住居で、中はとても広い。二階もカゼムのものらしいが使っていないようである。
家に人はいなかったが、ベビーカーや小さい靴が置いてある。ここにも怪獣がいたらどうしよう・・・。

アリさんは広島に10年いて、どうやら土方をやっていたらしい。日本語はあまり上手ではないのだが、とにかく勢いがある。まるで一人漫才を聞いているようでとにかく可笑しかった。
コレやって(トラックの運転)、コレやって(穴を掘っている)、とゼスチャーで説明してくれる。「シャチョーさん、オカネくれる」「アリ、何やってんだよ!とオコラレル」・・・と話しは続き、最後は「アリガトウゴザイマシタ」と締めていた。
カゼムの出してくれた氷水やジュースをいただきながらすっかり笑わせてもらった。
いやーこれだけパワーのある人なら世界中どこへ行ってもやっていけるんだろうな。

アリさんは(急に飛び出してきたから)一度店に帰った。そしてカゼムもどこかへ行ってしまった。
初対面の外国人を二人だけ残して家に誰もいないというこのシチュエーション、これまで他の国でも何度かあったのだけれど、日本ではまず考えられないシチュエーションである。すごいな、と毎回思う。日本とはもてなしや親切の質が180°違うのだ。

カゼムの家も衛星でNHKが見られる。ネットも使える。いいと言うので留守中にシャワーも浴びさせてもらった。
NHKでは東日本大震災のドキュメンタリーがやっていた。大槌町の子どもたちがみんなで作詞した曲はとてもいい歌で、心に響いた。日本の田舎の映像がとても美しく、眩しい。対照的に津波の跡がひたすら痛々しかった。

しばらくしてカゼム一家が帰ってきた。女の子が二人いるが、二人ともおとなしくてとても可愛い。
カゼムの一家は、カゼム(33歳)に奥さんのベーナズ(27歳)と娘さんのアスマ(5歳)とアナ(2歳)の四人。一緒にベーナズのご両親もやって来たが、ご両親からしてまだ若そうである。
自分ら二人のためにわざわざ夕飯を買ってきてくれて、二人で美味しくいただいた。食後にもチャイやメロン、アロエ?などをいただく。ここのところ、と言うかイランに入って以来ずっと食べすぎである。

アナが隣の部屋のブランコにすごい勢いで揺られている姿が可笑しい。アスマは小柄だ。おとなしくて、お絵描きが好きな女の子らしい可愛い子である。
アナが悪戯すると、ベーナズやカゼムがきちんと叱っている。ここはまともな家だと安心した。

カゼムはネットの翻訳を使って、「リラックスして」とか「あなたの家だと思って」とか伝えてくれる。奥さんのベーナズもとてもにこやかで自然体だ。
やっぱすごいな、イランは。なんかもう次元が違う感じの桁違いのホスピタリティーなのだ。

ネットの翻訳によるとカゼムは裁判官?もしくはそれに類する仕事をしている人である。
「ポリスも動かせるから、イランで何か困ったことがあったらすぐに電話しろ」と、何かそんなことをしきりに言ってくれた。
三年後に家族でアメリカに移住する予定だという話もしてくれた。近所に店四軒と広い駐車場を持っていて、これらを全部売り払えばなんでも30万ドルくらいになるらしい。
つまりはとても裕福な家だということなのだけれど、そう言われてみると確かにこの家はとても広いし、設備も整っている。ネットを引いている家というのも初めてだった。

そんなカゼムがイスラミックであるはずもなく、むしろイスラーム的なものは嫌いだと話してくれた。こういう声は日本にいるとまず聞こえてこないから、非常に興味深い。
カゼムのような人にとって(その数はイラン国内に驚くほど多い)、イスラームはあくまで外(アラブ)から入ってきた新参者である。そういう意識が強い。
それもそのはずで、メッカにイスラームが興ってイランに伝わったのは7世紀半ば。ササン朝の時代で、日本の歴史で言えば大化の改新の頃である。
彼らイラン人には遥か紀元前の昔に遡る長い歴史があるわけで、特にイランの人たちの心の拠りどころとなっているのは、紀元前6世紀半ばに興ったアケメネス朝ペルシアである。アケメネス朝を興したクーロシ(日本ではキュロス、英語ではサイラス)のことはカゼムのような人なら誰でも大好き。彼らのアイデンティティは完全にペルシア帝国にある。
ちなみに、その頃の宗教はゾロアスター教であり、最高神アフラマズダのこともみんな大好き。
カゼムによると、逆にイスラミックな政府はペルシア帝国のことを快く思っていないのだとか。

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レザの家をあとにする                    道は今日もしばらくこんな感じ

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「頭クルクルの奴らがよ~」と話してたおっちゃんたち    氷水のほかにバラとかいろいろくれた人たち

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店の主人と買い物に来た男の子              雰囲気のいいチャイハーナ

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そのチャイハーナの親子                   車が増えてきたところで・・・

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「日本人?」とハミドさんに声をかけられた      途方に暮れかけていたところでカゼムに拾ってもらう

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ハザードを点けて家まで先導してくれた         カゼムの家 中央がアリさん

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ベーナズのご両親達も遊びに来て楽しいときを過ごす ほとんど人の写真しかないイラン・・・
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