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ミコヤン博物館

2012/5/4 金
始:9:10 ~ 終:17:10 走行:57km
~ Tumanian ~ Alaverdi ⇔ Sanahin ~ 国境の30kmほど手前

くもり時どき雨がパラパラ、夕方一瞬だけ日が差した。

ベルギー人が行くと言っていたアラヴェルディってどんなとこなのかなぁと思って昨晩何気に旅行人を見ていて、どえらいもんを見つけた・・・「ミコヤン博物館」。
ん?ミコヤンて、まさかあのミコヤン?
飛行機好きなら誰でもピンとくるこの名前、そう、まぎれもなくミグの生みの親であるアルチョーム・ミコヤンのことだった。
アナスタース&アルチョームのミコヤン兄弟を記念した博物館がこんなところにあったのだ。
なんでもミコヤン兄弟はアラヴェルディの出であるらしい。アルメニア出身とはまったく知らなかった・・・。
ちなみに、ミグ(MiG)というのはミコヤンと、同僚のグレヴィッチの頭文字をとったもので、「Микояна и Гуревича」つまり「Mikoyan i(and) Gurevich」のことである。
こりゃ見ないといかんだろ、ということで昨晩マユミを説得し(ルートの途中でもあることだし)、本日行ってみることにした。

デベド渓谷に沿ってM6を北上。昨日のテン場の1,300mから850mほどのアラヴェルディまで下る。
この道はジェットコースターのように上下左右にうねっていて、走っていて飽きないのだがけっこう疲れる。下り基調だからまだ救われるんだけど・・・。
今日も途中に、短いながらトンネルが三つあった。どのトンネルも灯りがなくて真っ暗である。特に二つ目のトンネルは下もダートで、岩山をくり貫いただけの洞窟みたいなトンネルだった。

アラヴェルディは18世紀以来の銅山の町であるらしいが、帝政ロシア時代の栄光も今は昔、現在では細々と採掘を続けている状態である。
言わばアルメニアの足尾銅山といった趣がある。狭い谷間にあって風景もどことなく似ているし、鉄道が走っているところもどこか渡良瀬渓谷を思わせる。

アラヴェルディの町は意外に大きく、それなりに賑わっていて驚いた。
町の中心に着いてみたら、バス乗り場のところに昨日のベルギー人がいた。驚いたことに、彼は流暢にロシア語を話していた。これならヒッチハイクも問題ないわけだ・・・。
彼に通訳してもらって目指すミコヤン博物館の場所を聞いてもらうと、サナヒン修道院の近くだという。旅行人の地図だと橋を渡ってすぐのところに見えたのだけれど・・・。
サナヒン村ということは、アラヴェルディから急な山道を上らねばならない。

走ってみたら、3km、300mのアップだった。ヘロヘロになって博物館に辿り着く。
この博物館、入口がどこにあるのかまったくわからない。最初にてっきりここかと思って入ったところは隣接した学校だった・・・どうりで子どもがたくさんいるわけだ。最初は小学生が博物館に見学に来ているのかと思った。
子どもたちに案内されてようやく博物館へ。
管理人兼ガイドのおばちゃんはミコヤン兄弟の血縁者であるらしい。隣の学校も兄弟が通っていた学校、もしくは兄弟が建てた学校(どちらの意味だか読み取れなかった・・・)だと教えてくれた。
小ぢんまりとした博物館で、展示物は兄のアナスタースに関するものが多い。ま、航空機博物館じゃないからね。
ちなみに、入館料は200AMDである。

ミコヤン兄弟の兄・アナスタースは、ソ連時代に外相などを長く務めた大物政治家である。ケネディとか毛沢東、カストロ、ネルー、(なぜか)ヘミングウェイ、そしてもちろんスターリンなどなど、そうそうたる面々と一緒に写真に納まっている。
弟のアルチョームのほうはミグの生みの親である航空機設計者。
こんな小さな村からアルメニアのみならずソ連を代表する大物二人を輩出したんだからすごい。そりゃ村の英雄に違いない。

アルチョームに関する、つまりはミグに関する展示は思った以上に少なかったけど、それでも来てよかった。
来館者の記帳したノートを見ると日本人もいた。ほとんどは修道院のついでに立ち寄った人たちであったが、中に一人だけ、自分らのようにこの博物館目当てにはるばるサナヒンまでやって来たという人がいた。
物好きな人がいるもんだなぁと、ちょっと嬉しくなった。

ミコヤン博物館をあとにして、せっかくだから一つくらいアルメニア正教の修道院を見ていこうかと、近くのサナヒン修道院へ。
博物館からさらに急な坂を上ったところにあり、さすがにここは押して歩いたのだけれど、押すのも辛かった・・・。
さすが修道院のほうには何人も観光客がいて、その中に日本人も二人いて驚いた。ちょうど来ていた大型バスはオランダ人の団体客だった。
入口のところには土産物を売る露店が並んでいて、ちょっとしたキーホルダーが8ユーロだと言ってくる。いや、誰も買わんだろそんな値段じゃ・・・と思っていると、最後には2ユーロにまで下がるから面白い。
売るほうとしちゃどうしても客を逃がしたくないのだろうけど、はっきり言ってこの戦略は失敗である。最初から素直に2ユーロと言ったほうが買ってくれる人がいるのではないか、と思うのだが・・・。

サナヒン修道院は今は使われておらず、要するに遺跡となっている。
現役の修道院のような静謐さや神聖な空気は伝わってこないのだが、まぁこんなもんだろ。

修道院をあとにしてアラヴェルディに下り、町中で食料の買い出し。
アラヴェルディの先は緩やかな下りがデベド川沿いに続いている。途中の水場で水を汲み、ついでに顔と頭を洗ってスッキリ。
しばらく走って、グルジア国境まで30kmほどの川岸の草地に幕営した。久々に土の上に幕営したわけだが、厳密にはここも廃墟となったレストランかなにかの敷地内である。
結局、アルメニアでは一度も自然の中に幕営することがなかった・・・。
標高800m弱。標高が下がったせいで晴れてもいないのに暑い。

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今日二つ目のトンネル                   ジェットコースターのような道が続く

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アラヴェルディは銅山の町                 左のかたはミコヤン兄弟の血縁者であるらしい

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アナスタースとカストロ                  こちらがアルチョーム(だったかなぁ・・・)

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MiG-21の実機が展示されている               サナヒン修道院

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久しぶりに土の上に幕営

余談49 ミコヤンついでに・・・ライトスタッフとカプリコン1
航空機および宇宙産業というのは第二次大戦後に飛躍的進歩を遂げたわけであるが、その立役者は主にドイツ人の科学者や技術者である。つまりはアメリカとソ連双方が戦後自国に連れて帰ったドイツ人たちのもたらしたものが大きい。
映画「ライトスタッフ」の中にも、「向こうの(ソ連の)ドイツ人より我々の(アメリカの)ドイツ人のほうが優秀だ」というフォン・ブラウンの台詞がある。
なんてったってドイツは大戦中にジェット機やV1(パルスジェットの巡航ミサイル)を実用化し、ICBMの走りであるV2ロケットまで実験していたのだから、他国のかなり先を走っていた。

ロケットの開発では戦後しばらくソ連の技術がアメリカを圧倒した。
イェーガーたちが音速の壁を破ることに躍起になっていたその頃、ソ連ではロケットの開発が進められ、数年後に人類初の人工衛星・スプートニクを地球周回軌道に乗せる。続いてライカ犬を打ち上げ、さらには人類初の有人宇宙飛行(ユーリ・ガガーリン)、初の宇宙遊泳へと続いていく。
焦ったアメリカはマーキュリー計画を立ち上げるが、初期の頃は失敗続きで、人を打ち上げるどころか無人ロケットの打ち上げすらままならない・・・。
このあたりのいきさつをイェーガーに絡めて描いたのが名作「ライトスタッフ」(原作:トム・ウルフ)である。
この映画は男のロマンを描いた名作である(キッパリ)。ノーテンキな明るさが緊張感を打倒しているところもアメリカっぽくて好き。

さて、その後アメリカはジェミニ計画、アポロ計画と邁進していくわけであるが・・・ここに一つ、一部で疑問視されていることがある。
「アポロは本当に月へ行ったのか?」
もっと厳密に言えば、「本当に月に人を軟着陸させ、その上で地球に帰還することができたのか?」

アポロ11号のニール・アームストロングが、人類で初めて月面に降り立ったのは1969年7月20日。
「'60年代の終わりまでに人類を月面に到達させる」というケネディの公約がギリギリのところで実現した形になったわけであるが・・・
この偉業って実は現在の技術をもってしても非常に困難、いや無理なんじゃないの・・・?そんな難事業を'60年代の技術で達成できたとは到底思えないんだけど・・・というのが疑問の根幹。

アポロ以降、人類は月に行くことはおろか地球周回軌道からすら離れられずにいる。
惑星探査機は盛んに打ち上げられているものの、それは無人の、しかも行ったきりの使い捨てだ。
一方で、各種技術が進化した結果、わざわざ危険を冒して人が宇宙へ行くことの意味が薄れた、ということもある。今どき共産主義の国以外、有人ロケットなんちゅーミッションがぶち上げられることはまずなかろう。

で、話はちょっと飛ぶが「カプリコン1」。
こちらはずっと昔に見たっきりで詳細は覚えていないのだが、確か・・・人類初の有人火星探査を成功させたはずのカプリコン1号が、実は火星には行っておらず、火星探査の様子は秘密裏に地球上で撮影されたもの、というスキャンダルを描いた映画だったと思う。
映画はもちろんフィクションであるが、アポロも実際こんなだったら天地がひっくり返るだろうな・・・。

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ミコヤン博物館でいちばん目を引かれたのはこの絵(MiG-25)
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