黒海沿いをトラブゾンへ
2012/4/13 金
始:8:25 ~ 終:19:15 走行:128km
~ Tekkeköy ~ Dikbıyık ~ Çarsamba ~ Karacalı ~ Terme ~ Ünye ~ Fatsa ~ Bolaman ~ Orduの10kmほど手前
晴れ時どきガス。
朝のうちは昨日と同じように曇っていたものの、9:00過ぎになるとスッキリ晴れた。
トルコの道路は広くて快適なのだけれど、中央分離帯に阻まれて反対車線に渡れないのが困りもの。反対車線にGSやスーパーがあっても寄れないし、テン場があってもアプローチが困難。反対車線から「チャイ!チャイ!チャイ!」と声をかけてくれる人もけっこういるのだが、そっちに渡れませんから・・・。
一昨日はかなり先でUターンして反対車線側に幕営していた。おかげで今朝も2.5kmほど戻ってようやく走りたい車線に出られた。
すごく不便である・・・。
順方向に走り始めるとすぐ、前方に単独のバイカーが見えた。追いついて声をかけるとドイツ人の女性で、カザフスタンに向かっていると言っていた。旅立って二ヶ月らしい・・・二ヶ月前というと二月半ば、その時季中欧は大雪で大変なことになっていたのではなかったか。トルコまでどんな感じだったんだろう・・・いろいろ話を聞きたかったのだけれど、走りながらでは埒が明かない。あいにくのんびり立ち止まって話のできるスペースも近くにないし、どうにもペースも合わなかったから、しばらく先行してDikbıyıkのロカンタスで待つことにした。
しばらく路上で待ってみたものの一向に現れないので、ロカンタスの中でチョルバとパンを食べていたら彼女が通りかかった。急いで店の外に出て大声で叫んでみたのだが、気付かない彼女・・・店のおっちゃんが指笛も鳴らしてくれたのだけれどそれでも気付かず。まぁいいか、またどこかで会うだろ。
食事を終えて出発しようとしていたら数軒先の店から「チャイ!チャイ!チャイ!」と声をかけられ、チャイをよばれる。
そこは床屋とチャイハネがくっついた店だった。
チャイをいただいていると床屋に客が来て、声をかけてくれた兄ちゃんは客のおっちゃんの髭剃りに。「もう一杯チャイ飲むかい?」と言ってくれるのだが、兄ちゃん自身は手が離せない。すると、たまたま店の前を通りかかった靴磨きのおっちゃんに声をかけ、そのおっちゃんが店の中に入って代わりにチャイを入れてきてくれた・・・おもろいな、トルコ。
兄ちゃんに礼を言ってDikbıyıkを後にする。
道は平坦で走りやすい。サムスンからしばらく道が海沿いを離れていたが、Termeで再び海沿いに出た。その後はしばらく海沿いを走る。
一昨日は鉛色にくすんでいた黒海も、青空の下で見るとエメラルドグリーン・・・キレイであるが、海風が冷たい。
チャイによばれたGSで髭を剃らせてもらい、靴下も洗濯。
トルコ人にもFaceBookをやっている人がけっこういて、最近はよくアドレス交換をしている。
その次に寄ったÜnye手前のGSでコーヒーをご馳走になっていると、いつの間にか追い越していたドイツ人の彼女が通りかかった。自分はトイレに行っていてその場にいなかったのであるが、またもGSの人が鳴らしてくれた指笛にも気付かず行ってしまったようである。
あまり脇目をくれず前だけ見てこぐタイプの人であるらしい・・・。GSで休憩したりしないのかな?ま、女性一人でムスリム圏を自転車で走るってのは苦労が多いんだろうね。
どうも彼女とは縁がないようである。
Ünyeの町中でカルフールとBIMをハシゴして食料の買い出し。
買い物のあと外で買い食いしていると、珍しく若い女の子に声をかけられた。近くの学校に通う中学生か高校生だ。
一緒に写真を撮り合って、ここでもアドレス交換。
TermeからÜnyeまでの海岸線は松林が続いていて絶好のテン場になっている。タイミングよくこんなところに幕営できれば最高なのだけれど・・・。
その先のFatsaはちょっとリゾート地っぽい大きな町で、その浮ついた感じが好きになれずスルー。町外れのGSで水だけ汲ませてもらった。
この頃になると海霧が発生してすっかりガスってしまった。
道はこのまま海岸線を走っているはずだったのだが、どうやら手持ちの地図には出ていない、トンネルで岬をショートカットする道があったらしい。「Ordu、Trabzon」の標示に従って知らずにそっちの道に入り、しばらく走ってから岬をショートカットしているのではないかと気付いた。そういえば陸橋の下を走る道の行き先にも「Ordu」と書いてあったわ・・・。
ま、ショートカットできるんだからいいか、ってことでそのまま詰める。
水も食料もあるし、Fatsaを出たらすぐに幕営するつもりでいた。が、このショートカットのトンネルの道はあんまりだった・・・。
中央分離帯で反対車線に渡れないのはもちろん、ガードレールがあって道の外に出ることすらできない・・・まさに拘束道路。ところどころにテン場があるのに道路の外に出られない。あんまりだ。
先に進むしかない。で、100~200mほどのトンネルを二つくぐった先に現れた三つ目のトンネルは長かった。3,820mもある。
たまたまトンネルの手前に故障した大型トラックが止まっていて、その前方に日本でいうところの道路公団のようなところのバンも止まっていた。
手を振って脇を通り過ぎようとしたら、そのバンの人たちに呼び止められた。「ちょっと待っていろ」と・・・そう言うとバンは鬼バックでどこかへ行ってしまった。
時間は既に18:00を回っている。早くテン場を見つけたいんだけど・・・。
トラックを修理中の運ちゃんのところまで戻って話を聞いてみると、「自転車で走るのは危ない」「ポリスが来るから待ってろ」みたいなことを言っている。そして自分らのことで誰かに電話をかけてくれた。
しばらくすると先ほどのバンが戻ってきて、後ろの扉を開けて自転車を乗せてくれようとしたのだけれど、二台は無理・・・結局、自走する自転車の後ろから護衛してくれることになった。
で、走ってみたらこのトンネル、かなり危険だった。片側二車線の大きなトンネルで中もそこそこ明るいのだが、大型バスやらトラックが猛スピードでかっ飛んでいる。自転車単独で走っていたらヤバかったな、こりゃ・・・護衛していただけて助かりました。
トンネル出口でバンのおっちゃん二人に礼を言い、そのまま緩い坂を下り続けた。
依然としてテン場はない・・・いや、正確に言うと時どきあるのだが、拘束道路から出られない。
山の中はスッキリ晴れていたのだが、海に近づくにつれてまたもガスってきた。
しばらく下ったところでようやく枝道が現れ、拘束道路から脱出!道路からすぐのところにある、何かの木の茂る畑の中に幕営した。
斜めっていて快適とは程遠い場所であるが、他に選択肢なし。ガスで湿気がものすごく、幕営したそばからフライがびしょびしょ・・・。
余談48 トルコ人はチョコレート好き・・・なのか?
トルコ人はチョコレートが大好きなのか、トルコはチョコレート菓子の種類が豊富である。かつ、これらのチョコレート菓子は味も上々。そして物価の高いトルコの中にあってチョコレート菓子はかなり安く、日本のエンゼルパイよりイケルと思うチョコパイが1コ0.2TLとか。
チョコレート好きの自分にとって誠にありがたく、行動食として重宝している。
そうそう、トルコ、というかムスリム圏には華僑が少ないような気がするのだが、これってたぶん豚肉が手に入らない(使えない)からだと思う。中華に豚肉は欠かせないだろうから・・・。

靴磨きのおっちゃんと・・・ 床屋の大将

スッキリ晴れた 今日もGSでチャイをご馳走になりまくり

左手には黒海が広がる ドイツ人の彼女はここもスルー・・・

GSにお世話になりっぱなし 珍しく若い女の子に声をかけられた

黒海沿いは小奇麗なところが多い トンネルの手前で暫し足止め

バンで後ろから護衛してくれた 拘束道路から脱出してようやく幕営(翌朝撮影)
2012/4/14 土
始:9:10 ~ 終:18:20 走行:102km
~ Ordu ~ Gülyalı ~ Piraziz ~ Pazarsuyu ~ Bulancak ~ Burunucu ~ Küçüklü ~ Giresun ~ Keşap ~ Espiye ~ Tirebolu
日の出前はガスっていたが日が出ると共に晴れてきて、その後は快晴となった。
昨日の続きでD010を5~6km走ると海沿いに出た。
Orduも、海沿いに小洒落たカフェの並ぶ小奇麗な町である。そしてOrduから先はずっと町が途切れなくなる。
Orduの町外れにあるロカンタスで腹ごしらえ。ここのところ出発してからロカンタスで食事するのが定番になっている。気温が高くなって下手なものを持ち歩けないし、チョコパイ以外に適当な行動食も見当たらないから・・・。
ロカンタスならチョルバが3TL、他の料理でも4~5TLといったところで、パンは食べ放題である。今日は店のおっちゃんがアイラン分をオマケしてくれた。
引き続き黒海沿いを走って東へ。晴れると黒海もエメラルドグリーンに輝く。
BulancakにあったGSにたくさんのバイカーの姿が見えたので、休憩がてら寄ってみる。いるわ、いるわ、似たような旅をしている輩が・・・。
奇しくもそこにいる全員がカップルだった。自分らを含めて四組八人。
三組の六人は、どこか途中で会ってからしばらく一緒に走っているらしい。オランダ人カップルのキム&ダニー、フランス人カップルのエティエネ&マリーとシモン&イザ。
旅のスタイルはいろいろだ・・・ダニーはリカンベントに乗っていて、エティエネ&マリーの二人はそれぞれ一輪車のトレーラーを引いて旅するスタイル、最も機動性がありそうだったのはサーリーのバイクに荷物満載のシモン&イザ。これだけてんでバラバラの三組がよくも一緒に走ってるもんだ・・・もっともトラブゾンから先は三組とも行く先がバラバラらしいが。
フランス人のカップル二組は、なんでもイランとフランスの関係がよくないとかで、イランは通らずバクーから船でカスピ海を渡るらしい。オランダ人夫婦のほうはダニーのリカンベントが山道は走れないため(ま、そりゃそうだろう・・・)、ルート検討中という話。
シモンは中国のことが心配で仕方ない様子・・・心配の種は「漢字」だ。「中国国内でラテン文字表記の地図は手に入るかな」と心配そうに聞かれ、自分らもよくわからなかったのだけれど、あまりに心配そうにしているので「たぶん手に入ると思うけど・・・」と適当に答えておいた。(あとで行ってみてわかったけど、たぶん手に入らなかっただろうね・・・スマン。なんか嘘を教えてしまったようで申し訳ない)
それにしても・・・こんなこと言うのもなんだけど、フランス人も最近の若い連中はいたってまともだと思う。物静かで思慮深い感じだ。いや、一部でぶっ飛んだ人たちを見たり聞いたりしてきたから・・・。むしろここではオランダ人の二人がフランス人のノリだった。
そうそう、オランダ人の二人がトルコ人のスタッフと普通に話をしていて、いったい何語で話してるんだ?と思ったら、オランダ語だった。なんでもドイツやオランダに出稼ぎに行く人が多いらしく、トルコにはドイツ語やオランダ語を話せる人がけっこういるんだそうだ。
「一緒に来るかい」と六人に誘われたのだが、もう少し休みたいところだったのでいったん彼らを見送った。
チャイをいただいたり顔を洗わせてもらったりしてのんびり休憩。
40分ほど後にスタートしたのだけれど、一時間ちょっとで道路脇に自転車をとめていた彼らに追いついてしまった。二人が自転車の番をして他の四人が買い出しに行っているところだった。またしばらくおしゃべり・・・。
彼らはすごーくのんびり走っているようである。一日四時間しか走らないとキムが言っていた。「朝はとてものんびりなのよ」とも。今はフランス人たちに合わせて6時間は走っているらしい。
しばらくすると四人が戻ってきて、話の流れで暫し一緒に走ることになった。
遅すぎる・・・そもそもこれだけの人数で足並み揃えて走るのは無理がある。一緒に走れるのはせいぜい三人まで(自分を含めて)だと思う。
テントは六人で三張りだと思うのだが、三張りも張れるような場所がそうそうあるとも思えない。テン場探しも大変だろうな・・・。
ちょっと走ったところでまたストップ。川沿いの枝道に入ったところでランチにすると言うので、自分らは先行することにした。
それにしてもかなりのんびりのスタイルだった・・・まぁいろんなタイプのバイカーがいて面白くはある。
いろんな国の自転車乗りがそれぞれのスタイルで旅をしている。旅の期間も目的地もバラバラだ。そんな中で平均して最もマジメというかストイックなバイカーは日本人ではないかと思う。垣根を取っ払って現地の人と接しているのもたぶん日本人。これまでたくさんの旅行者を目にしてきたけど、自分の目にはそう映る。
ストイックというのはこういうことである・・・日本人のバイカーはあくまで自走、轍を途切れさせないことにこだわる人が多いのだけれど、ヨーロピアンなんかを見ているといとも簡単にバスや列車などを利用する。どちらがいい、どちらが偉いということではなく、そういう傾向があるという話。先ほどの六人と話をしていてもそんな感じだった。
ついでに、装備に対して一番マジメというか万一のことまで考えているのもおそらく日本人。スペアタイヤを見て驚かれたりするから逆に驚くわ・・・。
同じ方角へ向かうバイカー同士、またどこかで再会できるだろう。同じ時季に同じようなところを走っている仲間がいるってのはけっこう心強いものである。
ルートの選択肢が無限にあったヨーロッパと違い、トルコ以東は走るルートがある程度絞られてくる。特にトラブゾンはイランに行こうとする人ならたいていビザを取りに立ち寄る。今後他のバイカーと会う機会がさらに増えることだろう。
「またね」と六人と別れて先に進む。エメラルドグリーンの黒海がとてもキレイだ・・・。
途中から空気が変わって海風が生ぬるくなった。
EspiyeのGSで軽く食事をし、ついでに頭を洗わせてもらう。
水も汲ませてもらったのだけれど、なんとミネラルウォーターの冷水機から汲ませてくれた。これじゃもったいなくて尻は洗えん・・・。
TVでサッカーがやっていて、たぶんイスタンブールでやっているのだろうけど、スタジアムは激しい雨だった。これからこの雨がこっちに来るのだろうか・・・。
町中のBIMで買い出しを済ませる。
で、ここのところよく食べているチョコのスイーツを食べたのだけれど(これが楽しみ)、腐っていた。スイーツなのにすっぱい・・・。
話をしたらとてもフレンドリーな店員が交換してくれたのだが、交換したやつもやはりすっぱかった。程度はいくぶん軽かった気がするけど・・・。
どちらも賞味期限は切れてないわけだが、たぶん輸送中の保管状態が悪かったのだろう。
なんとなくばつが悪くて、気付かれないようにそっとゴミ箱へ。(客のこちらが恐縮する必要などもちろんないのだけれど、こんなところも日本人らしいなぁと思う)
尻洗い用の水をもらうべくその先でGSに立ち寄ると、またまたチャイをご馳走してくれる。水がほしいだけなのに恐縮です・・・。
自分らが日本人とわかると、「前にも日本人が来たぜ」「アキラってんだ」と写真を見せてくれた。100kgくらい荷物を持った人がいる、とツリーでシュウさんが話していた人か?
いずれにしてもそのアキラって人はそうとうインパクトがあるのかさもなくばトルコ語が話せでもするのか、そこにいたスタッフ全員が知っていた。(アキラさんとは後日サマルカンドで対面することになる)
GSをあとにしてテン場探し。
今日はOrduから先ずっと町が途切れなかった。これまでが嘘のようにテン場がない。
ルート沿いは諦めて、Tireboluを過ぎてしばらくのところでダートの枝道に入った。道は途中から川沿いになり、奥の集落へと続いている。
川の対岸にところどころテントを張れそうなスペースがあるのだが、橋が一つもない。水量は少なく、川の両岸に轍があって車やトラクターは浅瀬を適当に渡っているようである。
荷物をつけたまま渡渉するのは厳しいので、全部降ろしてピストン輸送し、対岸の平坦なスペースに幕営した。

たまには料理の写真も(ヒヨコマメのチョルバ) 再び黒海沿いをゆく・・・

GSにバイカー大集合! エティエネ&マリーは一輪車のトレーラーを引く

サーリーに荷物満載のシモン&イザ ダニーの愛車はリカンベント・・・

一時間ちょっとで再び追いついて・・・ 暫しの間ランデブー

再び別れて黒海沿いをゆく EspiyeのGS

「前にも日本人が来たぜ・・・」 敬虔なムスリムの女性が新鮮に映る

渡渉して川の対岸に幕営
始:8:25 ~ 終:19:15 走行:128km
~ Tekkeköy ~ Dikbıyık ~ Çarsamba ~ Karacalı ~ Terme ~ Ünye ~ Fatsa ~ Bolaman ~ Orduの10kmほど手前
晴れ時どきガス。
朝のうちは昨日と同じように曇っていたものの、9:00過ぎになるとスッキリ晴れた。
トルコの道路は広くて快適なのだけれど、中央分離帯に阻まれて反対車線に渡れないのが困りもの。反対車線にGSやスーパーがあっても寄れないし、テン場があってもアプローチが困難。反対車線から「チャイ!チャイ!チャイ!」と声をかけてくれる人もけっこういるのだが、そっちに渡れませんから・・・。
一昨日はかなり先でUターンして反対車線側に幕営していた。おかげで今朝も2.5kmほど戻ってようやく走りたい車線に出られた。
すごく不便である・・・。
順方向に走り始めるとすぐ、前方に単独のバイカーが見えた。追いついて声をかけるとドイツ人の女性で、カザフスタンに向かっていると言っていた。旅立って二ヶ月らしい・・・二ヶ月前というと二月半ば、その時季中欧は大雪で大変なことになっていたのではなかったか。トルコまでどんな感じだったんだろう・・・いろいろ話を聞きたかったのだけれど、走りながらでは埒が明かない。あいにくのんびり立ち止まって話のできるスペースも近くにないし、どうにもペースも合わなかったから、しばらく先行してDikbıyıkのロカンタスで待つことにした。
しばらく路上で待ってみたものの一向に現れないので、ロカンタスの中でチョルバとパンを食べていたら彼女が通りかかった。急いで店の外に出て大声で叫んでみたのだが、気付かない彼女・・・店のおっちゃんが指笛も鳴らしてくれたのだけれどそれでも気付かず。まぁいいか、またどこかで会うだろ。
食事を終えて出発しようとしていたら数軒先の店から「チャイ!チャイ!チャイ!」と声をかけられ、チャイをよばれる。
そこは床屋とチャイハネがくっついた店だった。
チャイをいただいていると床屋に客が来て、声をかけてくれた兄ちゃんは客のおっちゃんの髭剃りに。「もう一杯チャイ飲むかい?」と言ってくれるのだが、兄ちゃん自身は手が離せない。すると、たまたま店の前を通りかかった靴磨きのおっちゃんに声をかけ、そのおっちゃんが店の中に入って代わりにチャイを入れてきてくれた・・・おもろいな、トルコ。
兄ちゃんに礼を言ってDikbıyıkを後にする。
道は平坦で走りやすい。サムスンからしばらく道が海沿いを離れていたが、Termeで再び海沿いに出た。その後はしばらく海沿いを走る。
一昨日は鉛色にくすんでいた黒海も、青空の下で見るとエメラルドグリーン・・・キレイであるが、海風が冷たい。
チャイによばれたGSで髭を剃らせてもらい、靴下も洗濯。
トルコ人にもFaceBookをやっている人がけっこういて、最近はよくアドレス交換をしている。
その次に寄ったÜnye手前のGSでコーヒーをご馳走になっていると、いつの間にか追い越していたドイツ人の彼女が通りかかった。自分はトイレに行っていてその場にいなかったのであるが、またもGSの人が鳴らしてくれた指笛にも気付かず行ってしまったようである。
あまり脇目をくれず前だけ見てこぐタイプの人であるらしい・・・。GSで休憩したりしないのかな?ま、女性一人でムスリム圏を自転車で走るってのは苦労が多いんだろうね。
どうも彼女とは縁がないようである。
Ünyeの町中でカルフールとBIMをハシゴして食料の買い出し。
買い物のあと外で買い食いしていると、珍しく若い女の子に声をかけられた。近くの学校に通う中学生か高校生だ。
一緒に写真を撮り合って、ここでもアドレス交換。
TermeからÜnyeまでの海岸線は松林が続いていて絶好のテン場になっている。タイミングよくこんなところに幕営できれば最高なのだけれど・・・。
その先のFatsaはちょっとリゾート地っぽい大きな町で、その浮ついた感じが好きになれずスルー。町外れのGSで水だけ汲ませてもらった。
この頃になると海霧が発生してすっかりガスってしまった。
道はこのまま海岸線を走っているはずだったのだが、どうやら手持ちの地図には出ていない、トンネルで岬をショートカットする道があったらしい。「Ordu、Trabzon」の標示に従って知らずにそっちの道に入り、しばらく走ってから岬をショートカットしているのではないかと気付いた。そういえば陸橋の下を走る道の行き先にも「Ordu」と書いてあったわ・・・。
ま、ショートカットできるんだからいいか、ってことでそのまま詰める。
水も食料もあるし、Fatsaを出たらすぐに幕営するつもりでいた。が、このショートカットのトンネルの道はあんまりだった・・・。
中央分離帯で反対車線に渡れないのはもちろん、ガードレールがあって道の外に出ることすらできない・・・まさに拘束道路。ところどころにテン場があるのに道路の外に出られない。あんまりだ。
先に進むしかない。で、100~200mほどのトンネルを二つくぐった先に現れた三つ目のトンネルは長かった。3,820mもある。
たまたまトンネルの手前に故障した大型トラックが止まっていて、その前方に日本でいうところの道路公団のようなところのバンも止まっていた。
手を振って脇を通り過ぎようとしたら、そのバンの人たちに呼び止められた。「ちょっと待っていろ」と・・・そう言うとバンは鬼バックでどこかへ行ってしまった。
時間は既に18:00を回っている。早くテン場を見つけたいんだけど・・・。
トラックを修理中の運ちゃんのところまで戻って話を聞いてみると、「自転車で走るのは危ない」「ポリスが来るから待ってろ」みたいなことを言っている。そして自分らのことで誰かに電話をかけてくれた。
しばらくすると先ほどのバンが戻ってきて、後ろの扉を開けて自転車を乗せてくれようとしたのだけれど、二台は無理・・・結局、自走する自転車の後ろから護衛してくれることになった。
で、走ってみたらこのトンネル、かなり危険だった。片側二車線の大きなトンネルで中もそこそこ明るいのだが、大型バスやらトラックが猛スピードでかっ飛んでいる。自転車単独で走っていたらヤバかったな、こりゃ・・・護衛していただけて助かりました。
トンネル出口でバンのおっちゃん二人に礼を言い、そのまま緩い坂を下り続けた。
依然としてテン場はない・・・いや、正確に言うと時どきあるのだが、拘束道路から出られない。
山の中はスッキリ晴れていたのだが、海に近づくにつれてまたもガスってきた。
しばらく下ったところでようやく枝道が現れ、拘束道路から脱出!道路からすぐのところにある、何かの木の茂る畑の中に幕営した。
斜めっていて快適とは程遠い場所であるが、他に選択肢なし。ガスで湿気がものすごく、幕営したそばからフライがびしょびしょ・・・。
余談48 トルコ人はチョコレート好き・・・なのか?
トルコ人はチョコレートが大好きなのか、トルコはチョコレート菓子の種類が豊富である。かつ、これらのチョコレート菓子は味も上々。そして物価の高いトルコの中にあってチョコレート菓子はかなり安く、日本のエンゼルパイよりイケルと思うチョコパイが1コ0.2TLとか。
チョコレート好きの自分にとって誠にありがたく、行動食として重宝している。
そうそう、トルコ、というかムスリム圏には華僑が少ないような気がするのだが、これってたぶん豚肉が手に入らない(使えない)からだと思う。中華に豚肉は欠かせないだろうから・・・。


靴磨きのおっちゃんと・・・ 床屋の大将


スッキリ晴れた 今日もGSでチャイをご馳走になりまくり


左手には黒海が広がる ドイツ人の彼女はここもスルー・・・


GSにお世話になりっぱなし 珍しく若い女の子に声をかけられた


黒海沿いは小奇麗なところが多い トンネルの手前で暫し足止め


バンで後ろから護衛してくれた 拘束道路から脱出してようやく幕営(翌朝撮影)
2012/4/14 土
始:9:10 ~ 終:18:20 走行:102km
~ Ordu ~ Gülyalı ~ Piraziz ~ Pazarsuyu ~ Bulancak ~ Burunucu ~ Küçüklü ~ Giresun ~ Keşap ~ Espiye ~ Tirebolu
日の出前はガスっていたが日が出ると共に晴れてきて、その後は快晴となった。
昨日の続きでD010を5~6km走ると海沿いに出た。
Orduも、海沿いに小洒落たカフェの並ぶ小奇麗な町である。そしてOrduから先はずっと町が途切れなくなる。
Orduの町外れにあるロカンタスで腹ごしらえ。ここのところ出発してからロカンタスで食事するのが定番になっている。気温が高くなって下手なものを持ち歩けないし、チョコパイ以外に適当な行動食も見当たらないから・・・。
ロカンタスならチョルバが3TL、他の料理でも4~5TLといったところで、パンは食べ放題である。今日は店のおっちゃんがアイラン分をオマケしてくれた。
引き続き黒海沿いを走って東へ。晴れると黒海もエメラルドグリーンに輝く。
BulancakにあったGSにたくさんのバイカーの姿が見えたので、休憩がてら寄ってみる。いるわ、いるわ、似たような旅をしている輩が・・・。
奇しくもそこにいる全員がカップルだった。自分らを含めて四組八人。
三組の六人は、どこか途中で会ってからしばらく一緒に走っているらしい。オランダ人カップルのキム&ダニー、フランス人カップルのエティエネ&マリーとシモン&イザ。
旅のスタイルはいろいろだ・・・ダニーはリカンベントに乗っていて、エティエネ&マリーの二人はそれぞれ一輪車のトレーラーを引いて旅するスタイル、最も機動性がありそうだったのはサーリーのバイクに荷物満載のシモン&イザ。これだけてんでバラバラの三組がよくも一緒に走ってるもんだ・・・もっともトラブゾンから先は三組とも行く先がバラバラらしいが。
フランス人のカップル二組は、なんでもイランとフランスの関係がよくないとかで、イランは通らずバクーから船でカスピ海を渡るらしい。オランダ人夫婦のほうはダニーのリカンベントが山道は走れないため(ま、そりゃそうだろう・・・)、ルート検討中という話。
シモンは中国のことが心配で仕方ない様子・・・心配の種は「漢字」だ。「中国国内でラテン文字表記の地図は手に入るかな」と心配そうに聞かれ、自分らもよくわからなかったのだけれど、あまりに心配そうにしているので「たぶん手に入ると思うけど・・・」と適当に答えておいた。(あとで行ってみてわかったけど、たぶん手に入らなかっただろうね・・・スマン。なんか嘘を教えてしまったようで申し訳ない)
それにしても・・・こんなこと言うのもなんだけど、フランス人も最近の若い連中はいたってまともだと思う。物静かで思慮深い感じだ。いや、一部でぶっ飛んだ人たちを見たり聞いたりしてきたから・・・。むしろここではオランダ人の二人がフランス人のノリだった。
そうそう、オランダ人の二人がトルコ人のスタッフと普通に話をしていて、いったい何語で話してるんだ?と思ったら、オランダ語だった。なんでもドイツやオランダに出稼ぎに行く人が多いらしく、トルコにはドイツ語やオランダ語を話せる人がけっこういるんだそうだ。
「一緒に来るかい」と六人に誘われたのだが、もう少し休みたいところだったのでいったん彼らを見送った。
チャイをいただいたり顔を洗わせてもらったりしてのんびり休憩。
40分ほど後にスタートしたのだけれど、一時間ちょっとで道路脇に自転車をとめていた彼らに追いついてしまった。二人が自転車の番をして他の四人が買い出しに行っているところだった。またしばらくおしゃべり・・・。
彼らはすごーくのんびり走っているようである。一日四時間しか走らないとキムが言っていた。「朝はとてものんびりなのよ」とも。今はフランス人たちに合わせて6時間は走っているらしい。
しばらくすると四人が戻ってきて、話の流れで暫し一緒に走ることになった。
遅すぎる・・・そもそもこれだけの人数で足並み揃えて走るのは無理がある。一緒に走れるのはせいぜい三人まで(自分を含めて)だと思う。
テントは六人で三張りだと思うのだが、三張りも張れるような場所がそうそうあるとも思えない。テン場探しも大変だろうな・・・。
ちょっと走ったところでまたストップ。川沿いの枝道に入ったところでランチにすると言うので、自分らは先行することにした。
それにしてもかなりのんびりのスタイルだった・・・まぁいろんなタイプのバイカーがいて面白くはある。
いろんな国の自転車乗りがそれぞれのスタイルで旅をしている。旅の期間も目的地もバラバラだ。そんな中で平均して最もマジメというかストイックなバイカーは日本人ではないかと思う。垣根を取っ払って現地の人と接しているのもたぶん日本人。これまでたくさんの旅行者を目にしてきたけど、自分の目にはそう映る。
ストイックというのはこういうことである・・・日本人のバイカーはあくまで自走、轍を途切れさせないことにこだわる人が多いのだけれど、ヨーロピアンなんかを見ているといとも簡単にバスや列車などを利用する。どちらがいい、どちらが偉いということではなく、そういう傾向があるという話。先ほどの六人と話をしていてもそんな感じだった。
ついでに、装備に対して一番マジメというか万一のことまで考えているのもおそらく日本人。スペアタイヤを見て驚かれたりするから逆に驚くわ・・・。
同じ方角へ向かうバイカー同士、またどこかで再会できるだろう。同じ時季に同じようなところを走っている仲間がいるってのはけっこう心強いものである。
ルートの選択肢が無限にあったヨーロッパと違い、トルコ以東は走るルートがある程度絞られてくる。特にトラブゾンはイランに行こうとする人ならたいていビザを取りに立ち寄る。今後他のバイカーと会う機会がさらに増えることだろう。
「またね」と六人と別れて先に進む。エメラルドグリーンの黒海がとてもキレイだ・・・。
途中から空気が変わって海風が生ぬるくなった。
EspiyeのGSで軽く食事をし、ついでに頭を洗わせてもらう。
水も汲ませてもらったのだけれど、なんとミネラルウォーターの冷水機から汲ませてくれた。これじゃもったいなくて尻は洗えん・・・。
TVでサッカーがやっていて、たぶんイスタンブールでやっているのだろうけど、スタジアムは激しい雨だった。これからこの雨がこっちに来るのだろうか・・・。
町中のBIMで買い出しを済ませる。
で、ここのところよく食べているチョコのスイーツを食べたのだけれど(これが楽しみ)、腐っていた。スイーツなのにすっぱい・・・。
話をしたらとてもフレンドリーな店員が交換してくれたのだが、交換したやつもやはりすっぱかった。程度はいくぶん軽かった気がするけど・・・。
どちらも賞味期限は切れてないわけだが、たぶん輸送中の保管状態が悪かったのだろう。
なんとなくばつが悪くて、気付かれないようにそっとゴミ箱へ。(客のこちらが恐縮する必要などもちろんないのだけれど、こんなところも日本人らしいなぁと思う)
尻洗い用の水をもらうべくその先でGSに立ち寄ると、またまたチャイをご馳走してくれる。水がほしいだけなのに恐縮です・・・。
自分らが日本人とわかると、「前にも日本人が来たぜ」「アキラってんだ」と写真を見せてくれた。100kgくらい荷物を持った人がいる、とツリーでシュウさんが話していた人か?
いずれにしてもそのアキラって人はそうとうインパクトがあるのかさもなくばトルコ語が話せでもするのか、そこにいたスタッフ全員が知っていた。(アキラさんとは後日サマルカンドで対面することになる)
GSをあとにしてテン場探し。
今日はOrduから先ずっと町が途切れなかった。これまでが嘘のようにテン場がない。
ルート沿いは諦めて、Tireboluを過ぎてしばらくのところでダートの枝道に入った。道は途中から川沿いになり、奥の集落へと続いている。
川の対岸にところどころテントを張れそうなスペースがあるのだが、橋が一つもない。水量は少なく、川の両岸に轍があって車やトラクターは浅瀬を適当に渡っているようである。
荷物をつけたまま渡渉するのは厳しいので、全部降ろしてピストン輸送し、対岸の平坦なスペースに幕営した。


たまには料理の写真も(ヒヨコマメのチョルバ) 再び黒海沿いをゆく・・・


GSにバイカー大集合! エティエネ&マリーは一輪車のトレーラーを引く


サーリーに荷物満載のシモン&イザ ダニーの愛車はリカンベント・・・


一時間ちょっとで再び追いついて・・・ 暫しの間ランデブー


再び別れて黒海沿いをゆく EspiyeのGS


「前にも日本人が来たぜ・・・」 敬虔なムスリムの女性が新鮮に映る

渡渉して川の対岸に幕営
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