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暴風のモンテネグロ

2012/1/25 水
始:9:00 ~ 終:16:25 走行:61km
~ Dubac ~ Kupari ~ Srebreno ~ Mlini ~ Čilipi ~ Gruda ~ 国境 ~ Igalo ~ Herceg Novi ~ Zelenika ~ Bijela ~ Kamenari

昨晩の気温5℃、今朝も5℃。
昨晩は一晩中風が吹き荒れていた。風の当たらぬところに幕営したので、それほどテントに直撃するわけじゃないのだけれど、ゴーゴーと恐ろしい音を立てて上空を吹き荒れていた。時折りテントも煽られ、その度に目を覚まされた。
朝になっても風はやまなかったが、幸運にも雨は降っておらず、空も昨日よりは明るく見える。どうにか走れそうなので出発する。もっとも、もう一日停滞できるだけの食料もなかったのだけれど・・・。

山から下って海沿いに出ると、ものすごい風だ。身の危険を感じる。とても自転車になど乗っておれん・・・。
看板を見てちょっと先にLiDLがあることがわかっていたので、ひとまずそこまで走って買い出し。食料をたんまりと買い込む。その先のKupariの町中でガソリンも買う。これで数日の停滞が可能になった。
だましだまし走る・・・
空港のあるČilipiまで来たところでたまらずバス停に避難。ものすごい風だ。バス停ごと吹き飛ばされそうである。
ダメだ、こりゃ。クロアチアでもう一泊刻むことになるかな、こりゃ。いい加減クロアチアから出させて欲しい・・・。

一時間ほど避難していると、いくぶん風が弱まったような気がしてきた。
バス停を出て、早くもテン場を探し始める。と、そのうち明らかに風が弱まった。これならもう少し走れるぞと、予定通り国境を越えることにした。
13:50に国境着、クロアチアのイミグレにいた警官はやはり若くて美人だった。
「どこで寝ているの?」と聞かれたので、「キャンプしている」と答えると、「モンテネグロは雪よ~」と教えてくれた。
確かに、Čilipiの先から山は白くなっていた。でもさすがに道路に雪はなかろう・・・。

モンテネグロのイミグレの係官は、とても陽気なおっちゃん二人だった。
「ドーモ、ドーモ!トシロー・ミフネ!アキラ・クロサワ!」といきなり始まり、とにかく明るい。自らを指差して「サムライ!サムライ!」と連呼していた。
確かにこの陽気さはセルビア人に通ずるものがあるな・・・。

イミグレを出てすぐのところにGSがあった。
クロアチアのお金がちょっとだけ余っていて、コーヒーでも飲もうと立ち寄ってみたのだが、クロアチアのクナは使えなかった。もしやと思って立ち寄ってみたのだけれど、さすがにBIHのようなわけにはいかなかった・・・。
ちなみに、モンテネグロはユーロを使っている。

GSを出てすぐに目に飛び込んできたのは、モンテネグロならぬ雪をかぶった白い山。おぉぉ・・・雪で白くなるのは珍しいと見えて、地元の人が道に出て写真を撮っていた。
「モンテネグロ」というのはイタリア語やスペイン語で「黒い山」のこと。ヴェネツィア語から来た呼称であるらしい。
セルビア語(モンテネグロの公用語はセルビア語)で自国のことは「Crna Gora(ツルナ・ゴーラ)」という。やはり同じく「黒い山」という意味だ。セルビア語で「Crna」は「黒」、「Gora」は「山」の意味。
ちなみに、ミリエンコから教えてもらったのだけれど、旧ユーゴ圏では「赤ワイン」のことを「黒ワイン」という。どの国もワイン作りが盛んだが、赤ワインのラベルには必ず「Crna」と書かれている。「赤」ではなく「黒」の意味だ。

モンテネグロは人種的、文化的にはセルビアに極めて近い。
言語はセルビア語だし、宗教はセルビア正教を含む東方正教が大半を占めている(言語はモンテネグロ語と分類することもあるようだが、セルビア語とは方言程度の違いしかなく、モンテネグロ人の多くはセルビア語を話していると自認しているらしい)。
そんな背景もあって、スロヴェニアやクロアチアなど旧ユーゴ連邦内の各共和国が独立した後も長らくセルビアと歩調を合わせてきた。一時期は国名も「セルビア・モンテネグロ」であった。
セルビアから分離・独立する直接のきっかけになったのはコソボ紛争である。このときモンテネグロはセルビアの対応を非難し、アルバニア人難民を受け入れたりした。
「セルビア・モンテネグロのままでないとEUへの加盟は認めない」と、当初は態度を硬化させていたEUも徐々に軟化、住民投票を経て2006年に晴れてモンテネグロとして独立した。
ちなみに、住民投票では55%以上の賛成が独立の条件となっていたのであるが、結果は55.5%という微妙なものであった。

モンテネグロの面積は福島県と同じくらい、人口は僅か62万人である。
ツルナ・ゴーラ(モンテネグロ)という名は、単純に山がちな地形から来ているものだろう。
クロアチアのアドリア海沿岸のライトグレーの岩山と違い、モンテネグロの山々は常緑樹が茂っていて黒く見える(もちろん今は雪をかぶっていて一部は白く見えるわけであるが)。
そんな山国だからか、警察の車両はローバーのディフェンダーが多い。白くてごっつい車両が何台も国境ゲートのところにとまっていたから、最初は国連軍の車両かと思った・・・。
車のナンバーはセルビアやBIHと同様、先走ったEU仕様。左端に青帯が入っていて、そこにMNEと書かれている。もちろんEUマークはまだ入っていない。
ちょっと走ってみて気がついたのは、黒髪の人が多いということ。髪の色もツルナということか・・・。

さて、困ったのはテン場が見当たらないこと。
Herceg Novi以降、狭い湾に沿ってどこまでも延々と人家が続いている。人口62万人のわりにずいぶん人がいるなぁといった感じ。
おそらく人口のほとんどが狭い湾沿いに集中しているのだ。それは地図からも見て取れて、山深い内陸部にはほとんど道路がない。
人の住めるところにはことごとく人が住んでいる感じで、それはスロヴァキアなどと同様だ。野宿派サイクリストにとってはちと辛いところ。
テン場を求めながら走り続けるが、一向につけ入る隙がない。枝道に入っても平坦地には人家が並んでいる。

Bijelaまで来たとき、突然風が強くなった。左カーブを曲がって海沿いに出ると、そこにはありえない光景が広がっていた・・・。
風に舞い上げられた海水が飛沫となって、道路やその奥の人家に降り注いでいる。ふと見ると、老人が一人、海水をかぶりながら手すりにしがみついて歩いている。
ありえんわ・・・まるで台風だ。
すぐに自転車を道路脇にとめる。と、その瞬間、突風に煽られて地図が吹き飛んだ。
地図はフロントバッグにホックで固定してあった。しかも、風が強かったから二つ折りにたたんであったのに・・・一瞬にして吹き飛ばされた。
地図がないと困る。いや、地図はともかく、地図を入れている防水バッグがなくなると痛い。
急いで脇道に自転車をとめ、地図を追ったのだが・・・ない、ない、どこにもない。
諦めるわけにいかず、飛ばされた地図の動きをシミュレートしながら探し続けること15分、ようやく地図が発見された。よかったわ~

さて、この状態でテン場はどうするか・・・これ以上先に行くのは不可能だし、戻っても絶望的。もうこの近くでビバークするしかあるまい。
「そこにオリーブ畑がある!」
地図を探している間にマユミが発見。見ると、畑のすぐ裏手は団地のようになっているが、幕営することはできそうである。
普段ならこんなところに幕営するのはさすがにあり得ないが、状況が状況だけに四の五の言っている場合ではない。
テン場を見定めて緊急避難。
脇道にとめた自転車をわずか数十メートル押して歩くことさえままならない状況だ。
木でいくぶん風が遮られてはいるものの、幕営するのがこれまた大変な作業。立ててるそばからポールが折れそうである。
幕営の最中にふと海のほうを見ると、湾の対岸に見える山がまるで燃えているように紅く染まっていた。
おぉぉ・・・モンテロッソ。そう言い残してマユミにいったんテントを託し、写真に収めるべくカメラを携えて道路に駆け出した。
うおぉぉ・・・すごくキレイだが暢気に写真なんて撮ってる場合じゃねぇぇ・・・。
猛烈な風に押し返され、二枚ほど撮ってすぐにテントへ舞い戻った。

苦闘の末にどうにかテントを固定して、中に潜り込む。
いつもは木に縛り付けておく自転車も、とても風にさらしておける状況ではなく、たまたま近くにあった石垣の間に避難させた。
自然の力は恐ろしい・・・人間なんてゴミみたいなもんだ。
幕営後も風は一向に収まらず、やんだかに見えて突然猛烈な突風に襲われる。山でもこれほどの風に見舞われたことは数えるほどしかない。
自然の脅威の中で一番怖いのは、雨でも雪でも気温でもなくやはり風だ。それは山でも海でも同じだと思う。
猛烈な突風に怯えつつ、不安な夜を過ごした。

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Srđ山から下りる                    すごい風・・・のためバス停に避難

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モンテネグロの山は薄っすらと雪化粧           モンテロッソ・・・

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団地のすぐ裏手のオリーブ畑・・・
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