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韓国斜め縦断(仁川~釜山) その1

2013/1/1 火
~ 終:17:30 走行:25km
インチョン(仁川) ~ スウォン(水原)の手前35km

中国とは一時間の時差があり、昨晩のうちに時計を一時間進めた。これで日本との時差はなくなった。
夜中からどうも胃の調子が悪い。締め付けられるように痛く、食欲もない。
インチョンに着くまで船室のベッドで横になっていた。

インチョンには予定通り11:00頃到着。昨日降ったと思われる雪が3~4cm積もっている。
港に入るときはまだ雪がハラハラと舞っていたが、その後やんで青空も見えるようになった。

下船は外国人を優先的に降ろしてくれるのであるが、自転車を降ろさねばならない自分らは結局、韓国人の群れに交じって下船することになった。
トラックと一緒に船尾から降ろしてくれれば楽なのだけれど、それはやはりダメってことで、タラップの階段から強引に降ろさねばならない。
しかも青島同様、数百メートル離れたイミグレ・オフィスまではバスに乗らねばならず、甚だ面倒。
人でごった返すバスを何度もやり過ごし、ほぼ最後のバスに乗った。青島側のバスより乗降のステップが多く、乗り降りがえらく大変だった。

税関では荷物を全部降ろしてX線に通さねばならず、これまた面倒くさい。
全てを終えて荷物を積みなおしたときにはすっかりヘロヘロで、ほとんど走る気をなくしていた。胃の調子も悪いし・・・。
そもそも韓国自体消化試合の意味合いが強く、ただでさえ気分が乗らない。

ターミナルにあったインフォメーションで中国語併記の大まかな地図を入手し、両替屋で元をウォンに両替え。レートが悪かったが諦めて、余った元を全て両替えした。
道路は雪融けでびしょびしょ・・・さらに走る気をなくす。

ターミナルのすぐ近くにあったちょっとしたショッピングセンターに寄り、ATMでウォンを下ろす。
店内に日本語の放送が流れて驚いた。こんなところにそれほど日本人が来るとは思えないが・・・。
店内に簡単な本屋があったのだが、地図はなし。そもそも子供向けの本がちょこっと置いてあるだけだ。
胃の調子が悪くても腹は減る。フードコートにマックがあり、久々にビッグマックを食す。(自分はけっこうマック好き)

その後も地図を求めながらダラダラ走ったが、結局地図は見当たらず。
韓国人は本を読まないと聞いていたが、確かに・・・地図以前に、そもそも本屋というものがほとんど存在しない。あっても子供向けと思われるような本しか置いていなかったりする。
町並みは、一言で言うと20年以上前の日本のコピーといった感じ。セブンイレブンや、最近ファミリーマートから名前を変えたコンビニががやたらと目につく。

道がわかりにくく、インチョンから出るのに一苦労。
標識はあるのだが、町中ゆえか遠くの行き先が標示されていない。おまけに、誰に聞いても不思議なくらい道を知らない。何でここまで道を知らないのだろう???
テジョンなんてここから150kmくらいの距離だし、スウォンにいたってはほとんど隣町なんだけど・・・誰もどうやって行けばいいのか知らなかったりする。
漢字はほとんどの人が読めず、地図にある漢字の地名の下に小さく併記されたハングルを見て、「あぁテジョンか」といった具合。
もっと漢字を勉強した方がいいと思うぞ、韓国人。半島にあって明らかに中華文化圏にありながら漢字が読めないのは致命的だと思う。
ちなみに、それまで複数あった半島の言語が統一されたのは日本併合時。その時は漢字交じりだったのに、愚かにもハングルだけにしちゃったんだよなぁ・・・。

迷走しつつ20km弱走ったところでようやくスウォンの行き先標示が現れ、ホッとした。
中国から来ると道路が狭く感じられるが、交通マナーは中国よりずっとマシ。ゴミも中国に比べて格段に減った。人もけっこう親切である。

韓国という国は、人口4,800万人の半分くらいがソウルとその近郊に集中している。ソウルから離れるほど人ではなくなる、という屈折した儒教感に基づく結果である。
周知の通り、韓国は依然戦時下にある。朝鮮戦争は終わったわけではなく、単に停戦状態にあるに過ぎない。
そして朝鮮戦争時の体たらくから、韓国の統帥権は米国が持っている。米国と戦争したわけでもないのに、統帥権が米国にあるという不思議な国である。
ちなみに、停戦中の分断国家の状態であるにもかかわらず、ソウルというのはあまりに危険な位置にある。北朝鮮が国境線を越えて侵攻した場合、あっという間に制圧されてしまうと思うのだが・・・。

一面雪が積もっているのでテン場に困る。せっかくテントも乾いていることだし、できれば雪のないところに幕営したい。
結局、時間切れにより建設中の高架の下に幕営した。道路と、それから向かいのGSから丸見えであるが、乾いたところに幕営できればそれだけで御の字。
天気予報によると、明日からしばらくは好天が続く見込み。
20:00の気温-5.5℃。

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ターミナルまでバスで移動

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2013年の走り初め                     建設中の高架下に幕営(翌朝撮影)

2013/1/2 水
始:9:35 ~ 終:17:30 走行:80km
~ スウォン(水原) ~ オサン(烏山) ~ ピョンテック(平沢) ~ チョンアン(天安)

晴れ。道路は融雪路で(車道には融雪剤がまかれている)、歩道や自転車道は雪に埋まっている。
町中は車が多いのだけれど、路側帯が雪に埋まっているためヒヤヒヤしながら車道を走る。
直進車優先というところは徹底されていて、中国のように脇からノーブレーキで車が出てくるなんてことはない韓国であるが、自転車のすぐ脇をけっこうなスピードでかすめられのが怖い。

インチョンから内陸に入るに従い、雪の量が如実に増えた(特にスウォン以降)。雪まみれの自転車はあり得ない汚れようである。
スウォンまで42号線を辿り、スウォンで昼食。
初めて食べた韓国食はイカのビビンバみたいなやつ。大きなどんぶりに、ご飯とイカの辛い炒め煮、それから好みでニラやらなにかを加えて食べる。
旨い。旨いが、ここまで辛いものを毎日食べる気にはならんな・・・。

スウォンから1号線に入る。
韓国を自転車で走ってすぐに感じるのは・・・信号多すぎ。待ち時間長すぎ。
バカみたいに信号があって待ち時間が無駄に長い。日本なら感応式か押しボタンになっているような信号も一定のタイミングで全て変わるから、ほとんどの信号に引っ掛かる。
交通量によって信号の変わる時間を調整するという配慮もされていないし、一番意味不明なのが、順方向と逆方向で同時に青にならないところが多いこと。交互に青になるのだけれど、これってなにか意味があるのか?全方向の車が止まっていて、いったい今どこが青なのかわからないこともしばしば。
気が短い韓国人がよくも律儀に守っているものだと感心する。
そして、高い山はないのだが、小刻みなアップダウンがやたらと連続する。平坦地は日本よりすくないんじゃないかな。
辛うじて幹線は走れる状態にあるが、一歩幹線から外れるとまったく除雪されておらず、完全に雪に埋まっている。もしくは踏み固められてテッカテカ。
自然に融けるまで放置するのが韓国流なのだろうが、気温が低いからおそらく春先までこのままだろうね。

ピョンテックでトイレを借りるためGSに寄ったら、若い兄ちゃんがホットの缶コーヒーをくれて感激。寒いのでホントありがたい。
ストーブのある建屋の中でちょっと休ませてもらった。
出がけに、さらに一本ずつ缶コーヒーを持たせてくれた。

走り出してからずっと、小さな町が途切れずテン場がない。
16:00にもなると気温がググッと下がり、そろそろテン場を得ないと不安になる。
平らな林なんてものは存在しないから、頼みの綱は雪のない東屋か、GSなんかの敷地内に張らせてもらうこと。
と、道路に面して一見使われていなさそうな施設があった。閉まった門の前に守衛所と思しき建屋があり、その軒下が格好のテン場になっている。

門に自転車を立てかけて守衛所をのぞきに行くと、無人だと思っていたそこには人がいた。
軒下にテントを張らせてもらえないか頼んでみると・・・あっさりOK。拍子抜けするほど二つ返事でOK。助かったわ。
ちなみに、ハングルでもテントはテントと言う。よって、テントという言葉だけあれば、あとは身振り手振りでどうにかなるので交渉は意外と楽チン。
もちろんテントというのは、日本の併合時代以降に日本語から入った言葉。
もともと語彙の少ないハングルにはこの手の単語が驚くほど多い。特に近代以降のものについてはほとんどがこのパターン。カバンとかね。
反日の一環として、この手の単語を全て独自のものに置き換えようなんて動きも一部にあるみたいだが、まぁ無理だろうね。あまりに数が膨大だから。

天安にある会社の守衛所で会ったおっちゃんは、パクさん。なんかもう人のよさが顔に滲み出ているような人である。
そこには友人のソさんも一緒にいた。
自転車もそのままにすぐに守衛所の中に招き入れてくれ、温かいコーヒーをご馳走してくれた。建屋の中はぽっかぽか。
テントも建屋の中に張っていいと言ってくれる。ありがたいことだ。
広い隣室を提供してくれたので、さっそくそこにテントを張らせてもらう。
その後はパクさんのいる暖かい部屋ですっかり寛がせてもらった。

パクさんは夕飯もご馳走してくれた。
「キムチチゲはどうだ?」と聞いてくれて、近くの食堂からわざわざ出前をとってくれた。
ちなみに自分はキムチ、と言うか漬け物全般が苦手で食べられないが、熱が通っていれば食べられないものはない。
暖かい部屋でパクさんと一緒に夕飯をいただいたのであるが、パクさん自身はキムチと雑穀米というおそらくいつも通りの質素な食事。出前してくれたキムチチゲ他を食べたのはほとんど自分らだけで、ちょっとパクさんに悪い気がした。
食事の後には、これまたわざわざ買ってきてマッコリも振舞ってくれた。申し訳ないです。

21:00過ぎだったか、一度帰ったソさんが韓国版焼酎を持って再びやって来た。そして今度は電話でフライドチキンを出前してくれた。もう腹いっぱいで食えないっす・・・。
パクさん、ソさんとあれこれ話しながら(話はほとんど通じないわけであるが)楽しくやっているうちに夜が更けた。
車で家に帰るソさんを見送ってから眠りにつく。
暖かい部屋で寝れば、とパクさんは言ってくれていたが(パクさんはいつもそこのソファで寝ている)、荷物を運んだりが面倒なんでテントで寝させてもらった。
しばらくしてテントのある隣室にわざわざヒーターまで持ってきてくれたパクさん。なんとお礼を言ってよいのやら。
外は冷え込んでいて、20:00の外気温が-14℃。

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今日は融雪路                       GSで缶コーヒーをいただいた

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幹線は除雪されている                 パクさんのご好意で屋内に幕営させてもらった

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夕飯もご馳走になった                   人のよさが顔に滲み出ているパクさん

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ソさんも韓国版焼酎を持って再びやって来た

2013/1/3 木
始:10:30 ~ 終:16:45 走行:68km
~ テジョン(大田)の手前15km

晴れ。
テントの中でうとうとしていたら、7:00過ぎにパクさんに起こされた。
既に交代のキムさんが来ていて、パクさんは帰宅の時間。うちで朝食を食べようとお宅に招いてくれた。
仕事場からパクさんのお宅は車で5分ほど。朝の道路はけっこう混んでいた。

家には奥さんと、兵役を終えてこれから大学へ行く息子さんがいた。
奥さんの手料理をありがたくいただく。すっかりお世話になってしまって申し訳ないです。
ご飯はやはり白米ではなく豆などの入った雑穀米で、韓国の家庭ではこれが一般的なのかもしれない。米はもちもちしていて美味しい。
ちなみに、韓国にはお茶を飲む習慣はない。

トイレがウォシュレット付きなのには驚いた。(壊れていて使えなかったが・・・)
韓国人て、こういうハイテク機器が大好きだよね。スマートフォンなんかもそうだし。

守衛所に送ってもらう途中、パクさんがお店に寄ってお土産まで買ってくれた。クルミ入りの一口どらやきのようなお菓子。たいへん美味。
交代のキムさんもこれまた親切な人で、人のよさが顔に出ているようなおっちゃんだ。
パクさんと二人、7:00~7:00の24H交代勤務である。
コーヒーをご馳走になって、キムさんに見送られて出発。

1号線をずっと辿る。
今日は車道が乾いているところが多かった。昨日と違って自転車が雪まみれになることがない。
周りの景色はインチョンを出て以来ずっとパッとしない。なんと言うか、こう惹きつけられるものが何もない。道も高速道路然としていて、走っていて楽しくない。

昼食のため途中で寄った食堂は中華の店で、あんかけチャーハンが旨かった。
GSでも食堂でもどこでも、韓国はトイレが普通にキレイだ。たいていのところに石けんも置いてあるので助かる。
今日の食堂のトイレは和式の便器だったんで驚いた。もちろん日本から入ったものだろうけど、外国で和式便器を見たのはたぶん初めてで、どこか新鮮だった。

常々思っているのだけれど、韓国はありのままの歴史を認めてしまえば楽なのに・・・。
日本に併合してもらったお陰で近代化できたこと、韓国にあるもののほとんどは実は日本から伝わったものであること。
まぁしかし死んでもそれはできないんだよな。それを認めるとアイデンティティーが保てないどころか、自我が崩壊してしまうのだろう。
事大主義、小中華思想に縛られた韓国人の中では、支那により近い韓国の方がどうあっても日本より上でなければならない。
ただ実際は、悲しいくらいオリジナルなものがない。どこをどう見回しても韓国らしいものってないと思うんだよね。
歴史のほとんどが支那やモンゴルの一部だったのだから無理もないのだけれど、それを認められない限りスタート地点にも立てないのだと思う。

自らの起源、歴史をまっすぐ見つめられないというのは哀れだし、周辺国にとっては厄介だ。
国は捏造してまで歴史をひた隠しにし、反日教育を推し進める。
隠すといったって今の時代、ちょっとネットで調べれば自分たちの知るのとはまったく違う歴史が厳然と存在することに気付くだろうし、国外に出れば周りの歴史観は自分たちのものとは違うってことにぶち当たるはずなんだけど・・・そういうことは見ざる聞かざるなんだろうね、きっと。
「ちょっと待てよ」とか「真実はどうなんだ」とか、そういった思考に至らないのだと思う。

脱線ついでに・・・
中にはまともな思考の人もいるので、ここに引用しておく(ただし資料の信憑性はかなり怪しいですが)↓

同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。
「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。
韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。
「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。馬鹿馬鹿しい。
同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。
ごくごく一部の抵抗はあったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。
「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」にいたっては呆れてものも言えない。
誰も日本からの独立など望んでいなかったのにアメリカに強制的に独立させられたというのが真実だ。
「漢河の奇蹟」だって!笑わせる。
日本から賠償金という名目で莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。
これだけお膳立てしてもらえばどんな未開民族でも経済成長するだろうよ。
「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。
一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。
併合前、我々先祖は乞食同然の生活をしていたではないか。
現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。
虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。
このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足している
本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。これが恥でなくてなんであろうか。

by 済州島出身の評論家・金満哲

話を元に戻す。
昼前、GSでコーヒーをご馳走になった。そこで働くじいちゃんは、日本の国民学校に三年通ったと言っていた。
一言二言日本語を知っていたじいちゃん、当時を知る人なんだなぁとちょっと感慨深かった。

韓国には道路沿いに休憩所と思しき東屋がたくさんあって、雪のあるこんな時季には絶好のテン場となる。と言うか、東屋以外まともなテン場は得られない。
例によって16:00頃になると気温がグッと下がり、今日もそろそろ幕営したい気分。
東屋を狙ってテン場を探していると、道路脇に立派な東屋があった。薄っすら雪が積もっているが、どかせば快適に幕営できそう。
すぐ隣にゴルフショップがあり、テントを張ってもいいか聞いてみると、これまたあっさりOK。テントを張ることに対してとても寛容な気がする。

さっそく幕営すべく東屋の雪をどかしていると、ショップのおっちゃんが心配して様子を見に来てくれた。
そして、寒いからこっちに来いとショップの中に招き入れてくれた。テーブルにつき、温かいコーヒーをいただく。
そこには奥さんと息子さんがいて、息子さんの方がちょっと英語を話せる。
ひょっとして店内にテントを張らせてもらえるかも、と卑しくも期待していたら、なんとそれどころか、今晩は冷え込むからうちに泊まっていってくださいと。
おぉぉ・・・そんな、いいんですか。
ありがたくお言葉に甘えさせていただくことにした。

そんなわけで、今晩はチュンさんのお宅にお世話になることに。
二階が住居になっていて、さっそく招き入れてくれた。床暖房でポカポカだ~。
暖かい部屋でしばらく寛がせてもらった後、夕飯までご馳走になった。
今晩は焼肉。おでんもあった。激ウマ!
カセットコンロに鉄板を乗せて焼くのだが、鉄板が斜めになっていて油が落ちるようになっているのはアイデア商品だと思った。

さて、パクさんのお宅にも守衛所にもあってずっと気になっていたのだが、普通の冷蔵庫とは別にもう一つ、平たい冷蔵庫のようなものがある。
聞いてみるとこれ、キムチ専用の冷蔵庫。韓国では一家に一台の必需品であるようだ。
「日本にはないの?」って逆に聞かれたけど、ないです。
それと、これもパクさんのお宅から気になっていて聞いてみたのだけれど、韓国では結婚しても夫婦別姓。父親の姓を受け継ぐのが通常ということだった。

この時季、みかんがけっこう売られている。寒い韓国でみかんが採れるのだろうか?と思っていたのだが、済州島で採れるらしい。
チェジュ・オレンジは韓国では有名らしく、たぶん韓国で食べているみかんはほとんどがチェジュ産。
「日本のはチェジュ産じゃないの?」って聞かれたけど、日本は愛媛や和歌山なんかで採れますから・・・。チェジュより暖かいし。

夕食後、友人のコウさん一家が遊びに来た。英語を話せるってことでわざわざ呼んでくれたのだと思う。
コウさんはその昔、フィジーやプーケットに何年か住んでいたことがあるらしい。今は陶芸家で、この近くに住んでいる。
チュンさんのお宅で使っている皿や椀もコウさんの作品だとか。コウさんの風貌からは想像もできない(スミマセン)、素敵な陶器たちであった。
韓国版焼酎を少々いただきながら、暫し楽しくおしゃべり。
コウさんは、山の中にある自宅兼工房の写真を見せてくれ(すっかり雪の中)、よければ明日泊まって行ってくれとも言ってくれた。

チュンさんの家はまだ新しくて広い。なんと屋根裏部屋まであって、今晩はそこで寝させてもらった。
ここも床暖房でポカポカ。
が、せっかくの床暖房だったというのに、明かりを消すのにマユミが誤ってブレーカーを落としてしまい、夜中は少々寒かった。
それがブレーカーだったことに気付いたのは翌日の朝。明かりのスイッチはちゃんと別にありましたとさ。

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パクさん宅で朝食をご馳走になる            お土産までいただいた

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こちらはキムさん                      景色はずっとこんな感じ

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トンネルもけっこうある                   GSにて

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夕方になると気温がグッと下がる            この日はチュンさん宅にお世話になった

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一家に一台の必需品、キムチ用冷蔵庫        夕食後にコウさん一家がやって来た
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