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事故!!!

2012/8/26 (日)
始:8:30 ~ 終:14:00前・・・事故により行動終了 走行:44km
~ 事故現場:Jalalabadへの分岐から25kmほど先 ~ Massy

パミールは道路閉鎖中で結局走れなかったし、とにかく人が暗くてこちらまで気が滅入りそうだったタジキスタン。
そんな国から入国し、ちょっと期待していたキルギスタン。入国早々のバトケン地方(チョン・アライ地方)こそ美しくて感動したものの、オシュに近づくにつれてイメージがガタ落ち、結局は自分らにとってタジキスタン以上に馬が合わない国だった。
これまでいったい何人のキルギス人と喧嘩になったことか・・・。

この日はそんな自分らのイメージを決定づける出来事があった。
ただ道路の右端を普通に走っていて後ろから車に追突された。
場所はM41(ビシュケク~オシュ街道)のジャララバードへの分岐を過ぎて25kmほどのところ。
この道はオシュを過ぎると格段に交通量が増え、それまでも危ないなぁと思いつつヒヤヒヤしながら走っていた。

この日いくつめかの丘を越え、道路が平坦になったところ。
車が多いためアスファルトが割れ、道端の舗装は剥げ落ちている。ただでさえ狭い道がさらに狭くなり、とにかく走りにくい。
車の多いところほど道が悪くなるという魔の連鎖で、こんなところをかなりの車が走っている。もちろん自転車に対する配慮などゼロで・・・。
キルギス人の運転は乱暴だ。しかも例えばイランなどと違って、その土地独自のドライバー同士の呼吸というか暗黙のルールのようなものがまったく読み取れない。
そんなところで事故は起こった。

いつものように道路の右端を走っていると、後ろで「キキーッ」と急ブレーキを踏むスキール音がした。そんなことはキルギスに限らずこれまでにも何度かあった。
何やってんだよ・・・と後ろを振り向くとすぐ、今度は「ドンッ」という音がして、急停止したかに見えた後ろの車がこちらに突っ込んできた。
ヤバイ・・・と思う間もなく追突され、道路脇のダートに転がって自転車から投げ出された。
一番痛かったのは右のあばらあたり。が、それ以上に気になったのは自転車のこと。リアのホイールがグニャリと変形、キャリアも変形しパニールが投げ出されていた。
フレームまで影響が及んでいるとか、そんなことはまだわからない。
こんなキルギスみたいなところで自転車が直せるのか・・・先の見通しにまったく希望が持てず、目の前が真っ暗。

野次馬もやって来て、あたりはてんやわんやの騒ぎ。誰が事故の当事者なのかもわからない。
わき腹が痛くて道路脇にうずくまっていると、少し後ろを走っていたマユミがようやくやって来た。
ホイールがグニャリといっていてわからないが、自転車はフレームがいっているようにもシャフトが曲がってしまっているようにも見える。お先真っ暗・・・

事故を起こした車は二台。
おそらく前に自転車がいたため後ろのニッサン・ティーノが減速(たぶん急に)、そこにその後ろを走っていたVW・ゴルフが突っ込み、その反動でティーノが自分に追突した玉突き事故。
バカなドライバーに対する怒りも大きかったが、先の見通しが立たない虚脱感の方が大きかった。
ティーノのドライバーをとっ捕まえてどうしてくれるんだと怒鳴りつけたりしていたが、言葉も通じないしそんなことをしていてもまったく埒が明かない。
自転車はキルギス人など想像もできないほど高価なものだ。体以前にまずはそのことを強くアピール。
とにかくこのまま逃げられてはたまらない。警察に電話しろと詰め寄る。
キルギス人は警察と関わることを極端に嫌うようだが、とりあえず電話はしてもらった。

警察を待っている間、野次馬と思しき朝青龍似のデブのババァとその連れのおっさんが好き勝手なことを言っていた。
「この自転車が2,000ユーロだって。アハハハハ~」とか(お前らになど想像もできないほど高価なものなんだよ!)、「そこのリムを使って修理すればすぐ直る」とか(なんで事故を起こされて自分らの予備のリムを使わねばならんのだ!、「10,000スムで手を打ちなさい」とか(金だけもらってもしようがないだろ!)とか・・・。
世の中にこれほど小憎らしいヤツがいるか、というくらい腹の立つやつらだった。
ところでアンタら誰???

そうこうするうちに警察がやたらと大勢やって来たが、こいつらがまた使えねぇ・・・何のために来たんだよという状態。
埒が明かないので日本大使館に助けてもらおうと電話を借りてかけてみたがつながらず。藁にもすがる思いでビシュケクのサクラ・ゲストハウスに電話してみた。
奥さんが電話に出られて、こちらの伝えたいことを警察に伝えてもらった。自転車がとても高価であること、弁償してもらう必要があること、そして病院に行く必要があること。
サクラの奥さんにはお世話になった。
その通訳してくれたところによると、これから近くの警察署に行って事情聴取などを行い、その後病院へ行くらしい。

警察の止めたトラックに自転車二台を乗せ、自分らは事故車に乗ってスザクの警察署へ。
警察の呼んだ通訳の女性は英語が下手だったが、それでも後で事故の当事者たちから1,000スムもの大金を受け取っていた。
こんな事情聴取なんぞは旧ソ連的なお役所仕事で、はっきり言って何の意味もない。早く病院に連れて行ってくれよ~

事情聴取を終えてパトカーで病院へ連れて行ってもらった。
この病院てのがまたひどいもので、病院らしい清潔感というものがかけらもない。受付もなけりゃ待合室もない。それどころか診察室というものがなくて、問診すら行われない。
ここで治る怪我とか病気ってあるんだろうか?
一番肝心なレントゲンは日曜で休み、明日撮るということになった。どうでもいい右肘と左手の傷だけ手当てしてもらって病院を後にした。

その日は事故の当事者のところに泊めてもらうことになった。
荷物とドーズは警察署に置き、キャノンデールだけ車に乗せてその家へ。
すぐ近くなのかと思っていたのだが、警察署から50kmくらいあった。マースという町の外れ。

事故の当事者ショヤビックの家の隣にある、ショヤビックの母親ボカティギュのお兄さんの家にこの日はお世話になった。
ブドウ棚にたわわにブドウのなった素敵な家。家の人たちも皆いい人たちで、できればこんな形じゃなく別な形で会いたかったという感じ。
その家の隣にすむナジーラは英語が話せ、一緒にあれこれ世話を焼いてくれた。
おそらく最大のもてなしとして、羊の脂肉たっぷりのスープなんかを振舞ってくれたのであるが、とても無理。羊肉嫌いってのもあるが、虚脱感いっぱいでただでさえ食欲なんてなかった。
その晩は何もやる気にならず、キャノンデールをじっくり見ることさえできなかった。
家の親父さんが、アルバムを見せながらいろいろ話してくれたことだけ覚えている。
親父さんは自分の一つ年上。軍隊にいたときモンゴルへ行っていたといってその時の写真を見せてくれた。白黒の写真だから古いものなのかなぁと思ったのだが、自分と同年代なのだからそんなはずもなく、'88年から'90年の写真だった。
日本がバブル崩壊の前後、親父さんはソ連軍として引っ張り出されてモンゴルにいた。写真を見せてもらうと、タジク人とかキルギス人とか、ロシア人以外の人たちが多かった。
同時代の日本のことを考え、あまりのギャップの大きさに驚いた。

横になるとあばらの痛みが増す。
もちろんこの晩はよく眠れなかった。

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事故現場・・・この後左端の朝青龍似のデブババァがしゃしゃり出てきた

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体も痛いが自転車の方が心配・・・
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