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クロアチアの光と陰・・・BIH国境沿い横断 その1

2012/1/1 日
始:9:20 ~ 終:15:30 走行:80km
~ Ivankovo ~ Vodinci ~ Novi Mikanovci ~ Stari Mikanovci ~ Strizivojna ~ Vrpolje ~ Đonji Andrijevci ~ Garčin ~ Trnjani ~ Bukovije ~ Slavonski Brod ~ Brodski Varoš ~ Sibinj

元旦も休まず営業しています!

昨晩も今朝も気温は-4℃。無風快晴の素晴らしい一日。テントから初日の出も拝めた。(林の中だから見晴らしがいいわけじゃないけど・・・)
霜だか霧氷で白くなった木々が青空に映える。すごくきれい。
元旦の今日は出歩く人もほとんどおらず、国中がひっそりした感じ。もちろん店はどこも休みだし(GSも休み)、バスも運休。ベオグラードとザグレブを結ぶ大動脈のアウトバーンも午前中はほとんど車が走っていなかった。とても健全な社会であると思う。

昨日に続いて46号を西に走り、Stari Mikanovciで46号を外れてVrpolje方面へ。道路を走る車はほとんどなく快適の一言。
「Đakovoには壮大な大聖堂がある」とミリエンコが教えてくれていたけど、そのためだけに遠回りするのもなんなのでパス。アウトバーンのA3に沿ってボスニア・ヘルツェゴヴィナ(BIH)国境沿いを西に走る。
クロアチアの中央をPapuk山地が走っていて、平地は前回走ったハンガリー国境沿いか、今回走っているBIH国境沿いにしかない。

BIHは三つの地域から成る連邦国家である。
カタカナの「フ」の字の形をしたセルビア人のスルプスカ共和国(セルビア人共和国、RS)と、ムスリム人とクロアチア人のボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦。
ボスニアとヘルツェゴヴィナの違いは、ミリエンコたちの教えてくれたところによると、オスマントルコに最後まで抵抗を続け、オスマン朝に支配された後も比較的オスマン朝の影響を受けなかった古くからの人たちが住んでいるのがヘルツェゴヴィナ。簡単に言うと、RSに「フ」の字に囲まれた部分の北部がボスニア、南部がヘルツェゴヴィナということになる。
ちなみに、ムスリム人というのは旧ユーゴ独自の民族で、セルビア語=クロアチア語を話すイスラム教徒のこと。イスラム教はオスマン朝によってこの地に持ち込まれた。

民族問題というのは日本人にとってなかなか理解し難いが、口で言うほど簡単ではない。
国や民族の歴史や成り立ちといったものに深く根ざしているからだ。
そういった歴史や背景を無視して「友愛」だの「人類愛」だのと偽善めいたことを声高に叫ぶ人たちがいるが、無理に馴れ合う必要はないのだと思う。
殺し合いに発展するような虐めや喧嘩がなければそれでよい。動物界でも同じことだ。ジェノサイドだの民族浄化だのといったことは人間だけが犯す愚行である。
「友愛」だ「人類愛」だなどと言っていると、その国や民族のアイデンティティはどんどん失われていく。
世界中がどこぞの国のような人工国家ばかりになったらどうする?考えただけでもゾッとするわ・・・。
動物界だって同じ。サルやオオカミが縄張りも持たず馴れ合っていたら気持ち悪いわ。
価値観は多様で当たり前。だから世界は今でも面白いのだ。

さて、いたるところで爆竹が鳴らされていて少々耳障り。
セルビアでもクロアチアでもクリスマス前後あたりからそうだったのだけれど、元旦の今日は特に激しい。
今日は途中までは迷うほどテン場があって天国のようだったのだが、Bukovijeのあたりから道路脇の山が迫って平地が狭まると見つからなくなった。
地図を見て嫌な予感はしていたのだけれど、国によらずそういう地形のところは得てして人家が途切れなくなる。クロアチアも例外ではなく、急に人家が途切れなくなった。
テン場を探す時間になって今日もはまった・・・。
林に幕営することなど望むべくもなく、畑の中の木立ちの間になるべく人家から離れて幕営。もうしばらくこんな状況が続きそう。
このあたりはサヴァ川がクロアチアとBIHの国境になっていて、妙に国境が蛇行している。

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2012年は快晴で明けた                  花が咲いたように霧氷がきれいだった

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大動脈のアウトバーンもガラガラ・・・          畑の中の木立ちの間

2012/1/2 月
始:9:30 ~ 終:15:20 走行:66km
~ Brodski Stupnik ~ Oriovac ~ Lužani ~ Batrina ~ Nova Kapela ~ Vrbova ~ St. Petrovo Selo ~ Rešetari ~ Nova Gradiška ~ Medari ~ Okučani

昨晩の気温-2.5℃、今朝-5℃。
今日も無風快晴の素晴らしい一日だった。日が出ると暖かくて、朝からイヤーバンドも不要だった。こんな天気がずっと続いてくれると楽なんだけど・・・。

今走っている国境のサヴァ川沿いの道は「Ruta Sava」となっている。つまりクロアチア独自のサイクリングルートに指定されている。
サヴァ川(国境)からはだいぶ距離があって川沿いを走るわけじゃないけど、特別に自転車道が整備されているわけでもないけど、車が少なくて快適である。おそらくこのままサヴァ川沿いにザグレブまで続いているのだと思う。
このルートの難点はテン場を得にくいこと。使ってる地図には出ていない小さな集落が道沿いに途切れることなく続いていて、まったくつけ入る隙がない。あんなにあった林はどこかに消えてしまった。

Nova Gradiškaでスーパーを見つけ食料と水の買い出し。水は2Lだけ買った。
Nova Gradiškaの西、道沿いに急に廃墟が目立つようになる。家々の壁に夥しい数の弾痕が残っていて生々しい・・・。
そんな光景がOkučaniの先まで延々と20km以上続く。
国境に近く、サヴァ川の向こうはBIHのセルビア人共和国。このあたりは独立戦争当時、セルビア人の居住地域だったのかもしれない。

人口のおよそ12%にあたる57万人のセルビア人を抱えたクロアチアは、民族問題が未解決のまま独立に踏み切った。
クロアチアが独立を宣言するとセルビア人の多くが武装して国内に自治区を設定、クロアチアからの独立、もしくはセルビア本国への併合を求めた。
紛争はこのセルビア人地区から始まって、その後ユーゴ連邦軍が参入して泥沼化。'92年に停戦が成立して、当時のECがクロアチアの独立を承認した。
'95年になってクロアチア軍がセルビア人地域に攻撃を再開、'97年までに全土がクロアチアに統合された、というのが簡単な事の経緯。

道沿いの家々に残る弾痕がセルビア人によるものなのか、クロアチア人によるものなのかはよくわからない。
いずれにしても今は、ほんの20年前に民族に分かれて血みどろの抗争を繰り広げていたことなど嘘のように平穏である。少なくとも傍目にはそう見える、クロアチアもセルビアも。

Medariで自転車を止めて破壊された教会の写真を撮っていたら、道を歩いてきたおばちゃんに声をかけられた。
「酷いでしょう。でも私はずっとここに住んでいるけど生き残ったわ」
笑みを浮かべながらおばちゃんはそう話していた。
おばちゃんがクロアチア人なのかセルビア人なのかは知らない。

Okučaniを過ぎても尚、道沿いの家々にはときどき弾痕が見られる。
なんとなく気分が暗くなる。そして相変らずテン場はない・・・。
本当はこんなエリアを脱したところに幕営したかったのだけれど、時間切れ。
まだしばらく集落は途切れそうになく、道をちょっと外れて昨日と同じような畑の中の木立ちの陰に幕営。
夕日がとてもきれいだった・・・。
夕暮れ時、仕事を終えたトラクターのおっちゃんがテントの近くの畦道を引き上げてきたので、こちらから率先して笑顔で手を振る。おっちゃんも明るく笑顔で手を振り返してくれた。
ここに幕営することに問題はなさそうだ。

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快晴のテン場を後にして・・・               Ruta Savaをゆく

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沿道には弾痕の残る家や・・・              廃墟になってしまった家が目立つ

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昨日と同じような畑の中の木立ちの陰に幕営・・・夕日がきれいだった

2012/1/3 火
始:10:15 ~ 終:15:15 走行:51km
~ Rajić ~ Novska ~ Bročice ~ Jasenovac ~ Drenov Bok ~ Krapje

昨晩は晴れていたのだが、5:00頃トイレに起きるとすっかり曇っていた。
6:00を過ぎると突然風が吹き始め、雨も舞い始めた。停滞か・・・?シュラフにくるまって暫し様子を見ることに。
8:00を過ぎるとピタッと風がやみ、雨もほとんど上がったので行動することにした。相変らず曇っているが、所々明るくなってきた。
昨晩の気温3℃、今朝は5℃もあり、気持ち悪いくらい暖かい。

引き続きRuta Savaを西に向かう。
昨日に続き弾痕の残る家や廃墟となってしまった家が目につく。Novskaの先まで延々と。
いい気分ではない。心なしか道行く人たちの顔もくもって見える。

雨が強くなってきた。
NovskaでLiDLを見つけ、雨宿りがてら食料の買い出し。水は7L買う。
12:30過ぎに雨がやみ、薄日が差し始めた。
次はガソリン。実は昨日からGSを探しているのだが、道沿いにGSがまったくない・・・。Novskaの町中を探せばどこかにあるのだろうが、面倒なので先に期待。
NovskaからはRuta Savaを離れ、47号でサヴァ川に向かう。国境も近いし、47号を走ってりゃさすがにGSの一軒くらいあるだろ。

47号に入ると、GSは見当たらなかったが、これまでなかった待望の林がそこかしこに現れ出した。
テン場には困りそうにない。あとはガソリン。ガソリンさえあればどこにでも幕営できそうなのだけれど・・・。

GSが見当たらないままサヴァ川沿いのJasenovacに着いてしまった。
ここからサヴァ川を渡ればもうBIH。ただし、ここの国境にはチェック・ポイントがなく、一般人は越境できない。
Jasenovacからはサヴァ川沿いを走るつもり。ちょっと行ってみたけど、ここから先にはGSなどありそうにない。はて、困った・・・。
道路脇の家で作業していたおっちゃんに身振り手振りで聞いてみる。
おっちゃん曰く、「おぉベンジーナか。それならノブスカだ」
ノブスカ?それじゃ10kmも戻らねばならない。
「こっちの道沿いか、そっちの道沿いにどこかないでしょうか?」サヴァ川沿いの道と、ノブスカと逆方向に続く47号を指差して聞いてみる。
「ねぇなぁ・・・BIHまで行かないとないよ。ここから12kmだ」
うそ?
「こっちはどうでしょうか?」サヴァ川沿いの道を指差して聞いてみる。
「シサクまでねぇなぁ・・・」
Sisakというのはここから60km以上の彼方である。
BIHまで行かないとないの・・・?さすがにコケそうになった。

おっちゃんに礼を言って仕方なくノブスカに戻り始めたが、途中で思いとどまった。ガソリンのためだけに今から往復20kmも戻る?こんな馬鹿げたことはない。
やめた、やめた。ガソリンは諦め。ギリギリ今晩くらいはもつんじゃないか、ということにしてJasenovacに戻った。
Jasenovacからはサヴァ川沿いを走る、本当の意味でのRuta Savaを行く。
川沿いにはどこまでも森が広がっていた。ちょっとジメジメしてそうだけどなんとかなるだろ、などと話しながら車のほとんど通らない快適な道を走っていると・・・

それは突然現れた。
「地雷・立入禁止」・・・ドクロ・マークの入った警告板。
一瞬目が点になった。幕営どころの話じゃない。こんな警告板を見たからには川沿いの森はもちろん、道路以外のところに足を踏み入れる気にならない。

サヴァ川はJasenovacから国境を離れ、蛇行しながら北西のザグレブへと流れている。もう少し走れば集落が出てくるし、国境からも離れるから危険地帯を脱するだろう。
最初の集落はDrenov Bok。まだ安心できない。
Drenov Bokから、道は北に向きを変え国境からどんどん遠ざかる。
次の集落はKrapje。この集落の家屋は木造の立派なもので、今まで見てきたクロアチアの家屋とはまったく違っている。古い木造の家屋がズラリと並ぶ様はどこか日本の宿場町のようで落ち着く。って今はそんなことはどうでもいい。
このあたりまで来ればよかろう、ということにしてテン場を探し始める。確実に人が足を踏み入れている場所を・・・。

Krapjeを抜けたところでノブスカ方面行きの道が分岐する。ルートから外れるけどサヴァ川沿いよりよかろう、と思いそっちの道に入る。
正解。サヴァ川の支流であるLonjaに架かる橋を渡る手前、枝道を入ったところに格好のテン場を発見。
釣り場になっている川岸の奥の林で、キッチリと人の手の入っている雑木林。これなら安心して幕営できる。
林の中は広くて平ら。橋の架かる道路はほとんど車の通りもないし、何泊でもできそうな快適なテン場である。

それにしても・・・BIH国境沿いの地域と、ルードブレクみたいなスロヴェニアに近い地域とでは同じ国とは思えないくらいの差があるように感じる。
こっちはどことなく暗く、そして貧しく見える。遅れている、と言うかここだけ取り残されてしまったようなそんな感じ。言わばクロアチアの光の部分と陰の部分・・・おそらくこれはアドリア海沿いの地域と比べるとさらに明確なのではないかと思う。
BIH内をルートにとらなかったのは賢明であったと改めて思った。ミリエンコたちのアドバイスを聞いておいて本当によかった。

この晩は晴れて上空に月と星が輝いていたが、林の中は霧が立ち込めていて、そのコントラストが幻想的だった。

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昨日に続き弾痕の残る家や廃墟が目につく       "MINE"てのは地雷のこと

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左側が未処理の地雷原・・・畑のこんな近く      どこか日本の宿場町を思わせるKrapjeの集落

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テン場にはすごく気を遣った・・・確実に人が足を踏み入れている林
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