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アウシュヴィッツで考えた

2011/10/29 土
始:9:25 ~ 終:16:40 走行:19km
~ Oświęcim ~ Brzeszcze

曇り。朝は特に冷え込むこともなかったが、一日中日が出ず寒い一日だった。特にアウシュヴィッツとビルケナウ・・・強制収用所跡地は何故だか外界よりグッと寒かった。

夜露でびしょ濡れのテントをそのまま撤収して早々にアウシュヴィッツへ向かう。
Oświęcimから933号に入りちょっと走ったところにその場所はあった。道路に沿っていきなり有刺鉄線を張り巡らした塀が目に入る。
アウシュヴィッツの方は現在博物館となって公開されている。
入口の駐車場のところまで行くと、朝早くから大型バスが何台も来ていて人でごった返している。それにしてもすごい人だ。次から次からやってくる。今の時季でこの有様だから、きっと夏にはものすごい数の人が訪れるのだろう。

アウシュヴィッツもビルケナウも基本的に入場料は無料である。
ここは自分たちのペースでじっくり見たいと思っていた。ともに数年前までは自由に見ることができたはずであるが、現在アウシュヴィッツの方はガイド・ツアーでないと入れないようになっていた。係の人に聞いたら、15:00以降なら自由に見て回ることができるという話・・・実質的にはガイド・ツアーで見学することになる。
英語とポーランド語と、他にもいくつか言語があったかな・・・タイミングよく英語のツアーが出発するところだったのでこれに参加。
ガイド料は一人40zł。ヘッドフォンとレシーバーを受け取ってガイドについて回る。
ちなみに、公認の日本人ガイドも一人いて、予め予約しておけばその方に日本語でガイドしてもらうことも可能。

敷地は広く建屋の数も多いから、とてもすべてを見て回ることはできない。ツアーで回るのは収容所内のごく一部である。
あまりにもいろいろな建屋がありすぎて、勝手に見て回っていたのでは何がなんだかわからなかったに違いない。そういった意味ではガイドしてもらってよかった。
アウシュヴィッツについて、ここでは特に何も語るまい。ここで目にするもののすべてがおぞましい事実を静かに語っている。

ガイド・ツアーが次から次に数珠繋ぎでやって来るから、あまりじっくり見ていることはできない。次から次へと案内されてけっこう忙しい。そんな駆け足のガイドでもアウシュヴィッツだけでたっぷり二時間かかった。それでも見ることができたのは収容所内のごく一部。

ビルケナウの方は勝手に見て回るのかと思ったら、同じガイドが案内してくれると言うので引き続きツアーに参加。
ビルケナウ(第二アウシュヴィッツ)はアウシュヴィッツから3kmほどのところにあるさらに広大な収容所である。5~11月の間は両者の間を無料の連絡バスが走っている。
自転車をアウシュヴィッツに置いてバスでビルケナウに移動。「死の門」をくぐって鉄道の引込み線が敷かれていて、広大な敷地の中で唐突に終わっている。
敷地面積1.4平方キロ。とにかく広大な敷地内にバラックが点々と原形をとどめて残っている。立入可能なエリアは基本的に自由に見て回ることができるが、ここもあまりに広すぎて何がなんだかわからないから一通りガイドしてもらった方がいいと思う。
移動時間も含め、ビルケナウの方もツアーはたっぷり二時間。時間があればその後敷地内を自由に見て回ることができる。

収容されていた人たちの寝起きしていたバラックやトイレは当時の姿をとどめているが、もちろん今はきれいにされている。よって当時の状態を思い浮かべるには想像力が必要だ。
一つの狭い棚に五人が寝起き、ダニやシラミ、あたりには排泄物が散乱しネズミが走り回る。劣悪すぎる環境だったろうな、特に臭いが・・・。
こういったバラックなどはよく映画のシーンにも出てくるけど、そこまでリアルに再現されていないから勘違いしがちになる。実際はもっと過酷です・・・これは実際目で見て想像してみないとわからないな。

「ナチの医師がユダヤ人を選別しているところ」とか、写真に写されたまさにその場所に当時撮られた写真が立てられているのも妙にリアリティーがある。およそ70年前に撮られた写真と寸分たがわぬバラックが今目の前に建っている。見ていてゾッとする。

ビルケナウの方のガス室と焼却場とされているところは、証拠隠蔽のため終戦間際にナチの親衛隊によって解体、爆破されており、瓦礫となってその姿を晒している。

さて、ツアーに参加してガイドの説明を聞いていて思ったのは、現地ツアーにドイツ人が飛び入りで参加するのは無理だろうなということ。あまりに辛すぎる。
ガイドはいちいち「ナチのドイツが」という言い方はせず「ドイツは」「ドイツ人は」と言い続けるから、いたたまれなくなってその場から逃げ出したくなるに違いない。
実際にはアウシュヴィッツを訪れているドイツ人は多いのであるが、ほとんどはドイツ人のツアーに参加しているはずだ。でないとちょっと辛すぎる。
ちなみに、自分らのツアーはアイルランドとカナダの団体客が多かった。
もちろんホロコーストは完全にドイツの犯罪であって、弁護の余地はまったくない。
当時ユダヤ人を公然と差別していたのは何もドイツに限った話ではないが、大々的にあのような暴挙に出たのはナチのドイツであり、ヨーロッパの他の国の人たちからすればこの件に関しては完全にドイツだけが向こう側の国、収容所を訪れる人たちを見ていてそんな印象を受けた。

アウシュヴィッツで殺戮されたのはユダヤ人だけではない。最終的には9割がユダヤ人ということになるのだけれど、アウシュヴィッツができた当初に犠牲になったのはポーランド人が多かった。他にジプシーやソ連軍捕虜、同性愛者などが犠牲になった。
被った悲劇からすると当然なのかもしれないが、ホロコーストに対するユダヤ人の執念はすごい。数年おきにホロコーストを題材にした映画が公開されるのも、ホロコーストという事実を未来永劫色褪せないようにせんがため。

昔、自分が高校生の頃だったか、マルコポーロ事件というのがあった。
「ナチのガス室はなかった」という大胆な論を述べた人がいて、それを掲載したマルコポーロという雑誌が(主にアメリカ在住の)ユダヤ人協会の圧力で廃刊に追い込まれたという事件だ。
極東の小さな島国の一雑誌で異を唱えることも許さない。ユダヤ人の執念はすごいなと思うと同時に、ユダヤ人の力はすごいなと当時思ったものだった。
ちなみに、自分は書籍化されたものを読んだことがあるが、内容は何もホロコーストを否定しているわけではなく、ガス室とされている建物の構造などからして実はガス室というものは存在しなかったのではないか、亡くなったユダヤ人の多くはチフスが原因ではないか、というものだ。パレスチナ問題なども絡めて書かれたなかなか興味深い本であったことを覚えている。

アウシュヴィッツは、今後二度とあのようなおろかな歴史を繰り返さぬよう、できればすべての人が一度その目で見たほうがよい場所だ。
人間とはおろかなもので、その後もジェノサイドはいくつも引き起こされている。ルワンダしかり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナしかり・・・である。
ユダヤ人とて、ホロコーストでは被害者であった彼らが、今パレスチナの地では加害者になっているのはおろかなことだ。

アウシュヴィッツを後にして933号を西に向かい、Brzeszczeを出てすぐに渡った川の土手の下にある広い草地の木陰に幕営。
車が多く、相変らず道を走っていて不快なポーランドであるが、テン場に事欠かないのはありがたい。

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「働けば自由になる」                    何故この地に収容所があるのか・・・輸送に好都合だったから

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犠牲者の義足や義手                   帰るつもりで鞄には名前を書いておいた

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夥しい数の靴                        いくつもある監視塔

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銃殺に使われた「死の壁」
              
29P1110886_サイズ変更 29ガス室とされているところの内部_サイズ変更
                                 ガス室

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ビルケナウの鉄道引込み線と「死の門」         解体、爆破されたガス室と焼却場

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                                 女用のバラック

29IMGP7864_サイズ変更 29男子用バラックのトイレ_サイズ変更
                                 男用バラックのトイレ

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男用バラック

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川の土手下の草地
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