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ハバナ再び その2

2011/4/13 水
実は、ヘミングウェイの作品はほとんど読んだことがないし、特に感銘を受けた作品があるわけでもない。が、そのライフ・スタイルには憧れるものがあった。
ヘミングウェイが初めてキューバを訪れたのは1928年のことであるらしい。以来この地に魅せられた。
ハバナのセントロにあるホテル、アンボス・ムンドスに常宿して「誰がために鐘は鳴る」を執筆。その印税でフィンカ・ビヒア邸を購入し、以後、大好きな海と釣りをテーマにした作品を書き上げていった。「老人と海」を書いたのもフィンカ・ビヒア邸だ。
憧れるライフ・スタイルというのはこのフィンカ・ビヒア邸に移り住んでからのことで、ヘミングウェイは太陽が昇る頃に起き、朝の涼しい静かな時間を執筆にあて、昼からの時間は夜中まで自由な時間としたらしい。
曰く、「キューバに住む一番の理由は、家から美しい田園地帯を抜け、車で30分ほど行くと、そこには深く大きな海流があり、(中略)私の知る限りでは最高の釣り場だからだ」(「狩と旅と友人たち」より)
こんなライフ・スタイルに憧れる・・・。

今日はそのフィンカ・ビヒア邸に行ってきた。邸はハバナ郊外のサン・フランシスコ・デ・パウラにある。
セントロのバス乗り場からP7のメトロ・バス(連結バス)に乗る。この路線は本数が多く、乗り場に行ったらバスがいた。
メトロの運賃は一律1CUPかと思っていたのだが、普通の路線バスと変わらず0.4CUPであった。

サン・フランシスコは予想外に遠かった。バスに乗って暫らくしてからどこで降りればいいのか聞いてみると、「まだまだずっと先」と教えてくれ、結局セントロから40分もかかった。
またまた親切なばあちゃんが、手前でバスから降りるとき、自分らのことを近くにいた黒人のおっちゃんに託してくれた。
そのおっちゃんと一緒にバスを降りる。話をしてみると、たまたまそのおっちゃん、ラサロも空手家だった。キューバは空手家が多いなぁ・・・。
ラサロは自分らが日本人とわかった瞬間から大興奮、あれやこれやと空手のことを語りだした。空手家らしい立ち振る舞いはフレディリスには及ばないが、やはりいろいろと詳しい。
自分の二人の子供もそれぞれ空手と柔道をやっているらしく(フレディリスと同じだ・・・)、是非息子も日本人に合わせたいと言い出した。
バスを降りたところからフィンカ・ビヒア邸までは歩いてすぐで、入口に差し掛かったときにここだと教えてくれたが、息子の学校がすぐ裏にあると言うので、まずは一緒にその学校へ。
学校の出入り口にいた人にラサロがIDを見せ、一緒に校内に入る。そのまま彼の息子の教室までついて行った。
ラサロが先生らしき人に何らや事情を説明し、息子を学校から連れ出してきた。そんなことが許されるのね・・・。
彼の息子は12歳で、名はマイコル。ラサロと違い、いきなり見知らぬ日本人に引き合わされてちょっと恥ずかしそうにしていた。
「しょうがねぇ親父だなぁ・・・」という感じで、ちょっとノーテンキなラサロと対照的にしっかりした息子さんだった。

4人でフィンカ・ビヒア邸へ。
入場料が3CUCであるのに対し、カメラの持ち込みは5CUCも取られるので、カメラは無しということにした。
ちなみに、ラサロたちの分は自分らが払ったわけではないが、キューバ人は安く入れるらしい。ラサロは入口でIDを預け1CUC払っていたが、出るときにお釣りをもらっていた。マイコルの分はタダである。

邸は木々の生い茂る広い敷地内にあり、敷地に入ると完全に外界の喧騒から遮断される。本宅の隣に展望台のような4階建ての塔があり、遠くにハバナ市街を見下ろせる4階部分にタイプライターが当時のまま置かれていた。ここで立ったままタイプライターを打っていたのかな???
素晴らしい。是非こんな環境で暮してみたい。読書や執筆がさぞ捗ったことだろう。
でも、ちょっと自分らの受け付けない悪趣味も目立った。ヘミングウェイは釣りのほかに狩りもかなり好きだったようで、アフリカなど世界中で射止めた巨大なシカやバッファロー、ガゼルなどの首がどの部屋にも飾られていた。きっとハバナ以外の家もこんな感じなんだろうなぁ。娯楽のためだけにいったいどれだけの動物を殺してきたんだ、この人は・・・。
敷地の片隅には愛艇「ピラール号」も飾られていた。木製の、重厚感ある船だった。

帰りに、門のところで4人で写真を撮ることにした。受付のおばちゃんにシャッターを押してくれるよう頼むと、おばちゃんは「私も?しょうがないわねぇ・・・」という感じでまんざらでもなさそうにポーズを決めていた。いや、そうじゃなくて・・・。
何故か一枚目は自分がシャッターを押し、そのまま去ろうとするおばちゃんを引き止めて二枚目のシャッターを押してもらった。

マイコルが学校に戻る都合もあったのだろう、意外とあっさり二人と別れ、同じP7のバスでハバナのセントロまで帰ってきた。
その後はセントロをブラブラし、まだ見てなかったカテドラルを見たり、ホテル・アンボス・ムンドスの外観だけを眺めたり、アルマス広場の古本市をのぞいたり。
相変らずオビスポ通り付近のツーリスティックっぷりはさすがだ。

セントロからカサに帰る途中、路上に古本を広げているおっちゃんがいた。
何の気なしに見ていると、おっちゃんがあれこれオススメの本を出してくれる。カストロの本とかゲバラの本とか・・・。
その中に、古本市などにはなかったゲバラの本があった。手にとって表紙をめくると、インクで何やら書かれていて、最後に"Che"とサインがある。
「ふっ・・・ゲバラ本人のサインだよ」とおっちゃんはもったいぶって言っていたが、そんなわけはねぇ。出版がゲバラの死後だから・・・。
おっちゃんは、さらにどこからともなくゲバラのポスターを出してきて、「ふっ・・・この写真はオリジナルだぜ」と言っていた。
オリジナルも何もただのポスターなんじゃ・・・しかもクシャクシャな上にいろんなものがこびりついてるんですけど・・・。
「ふっ・・・本に写真を二枚つけて10CUCでいいよ」、っていらねぇよ、そんなもん。

夕飯は挽肉とジャガイモの炒め物だった。
メインも美味しいのだけれど、この家の食事にはブラジルのような豆のスープが毎晩つく。これが実に旨い!この豆のスープが大好きな自分らは、これさえあればいくらでもご飯が食べられる。
とにかくご飯は毎晩美味しかったなぁ。

13apr2011 フィンカ・ビヒア邸 13apr2011 ラサロ、マイコルと何故か受付のおばちゃん
「老人と海」を書いたフィンカ・ビヒア邸        ラサロ、マイコルと何故か受付のおばちゃん

13apr2011 セントロの路地 13apr2011 アルマス広場
海の見えるセントロの路地               アルマス広場で涼む人たち
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