FC2ブログ

パナマ・シティ(シウダ・デ・パナマ)

2011/2/17 木
休養日。
10日間船の上でウダウダしてたわりにどことなく疲れていて休養日。
朝起きると部屋の電気が死んでいた。
まさかパナマ・シティの、しかもパナマの富の象徴である新市街の中心地で停電?まさかね、そんなわきゃないね、プエルト・オバルディアじゃあるまいし。
自分らのいるフロアだけ電気が全滅しているようだった。
すぐ復活しそうにないので部屋を替わってくれ、ということになって朝食後に引越し。あー朝から面倒くせー。

宿があるのはセントロではなく、新市街の中心地。近くには高層ビルが建ち並んでいる。高級ホテルもあるし、スーツを着たビジネスマンが通りを闊歩している。ちょっと居場所がない感じ?
マックと中華以外安く食事のできるところがなくてちょっと不便。セントロの方が生活するのに都合がよいのだが、今さら宿を移るのも至極面倒なのでこのまま滞在することにした。

Zuly'sを求めてやってくるため、宿にはパラパラと日本人もいてちょっと驚いた。
会った人たちは皆カルタヘナから飛んできた北上組で、不思議とこれから南下して南米に行く人はいなかった。いたらコロンビアのお金を両替えしてもらおうと思っていたのに・・・。
どの人も既に1年半とか2年とか旅している長期旅行者で、イランやパキスタン、中央アジアの比較的新しい生情報をもらえるのがありがたい。
パナマに長居しようという人はおらず(宿代も高いし・・・)、皆さんパナマ運河を見ると足早にコスタリカへ移動してゆく。

2011/2/18 金
今日も休養日。
別段疲れているわけではないのだが、何故かテンションが上がらない。
ボチボチ南米、そしておそらくその延長線上にあるだろう中米に飽きてきたのだ。
南米に6ヶ月いただけで何言ってやがる!と言われそうだが、実際、コロニアル建築はもうお腹一杯といった感じである。
面白いことに話をしてみると、南米から上がってきた人たちは皆が皆同じようなことを感じて旅していた。
「皆同じように感じてるんですね~」などと言われると、「自分らだけじゃなかったのか」と変なところで妙に一体感が生まれたりする。

南米は実に旅がしやすい土地である。
どんな安宿でもある一定レベル以上は確保されているし、何よりトランスポートが快適。移動しようと思えば長距離バスで一気に距離を稼ぐことも可能。
そしてこの長距離バスが実に快適(特にペルー、アルゼンチン、チリあたり)。たいていは道路の舗装もキレイだし、20、30時間乗っていても別段苦にならない。
が裏を返すと、「快適」ということは「つまらん」ということである。楽に快適に移動できるということは(自分らの感覚では)移動に面白味がないということで、旅の魅力の少なからぬ部分をもぎ取られてしまっているように感じる。
ま、これは旅のスタイルによるのだけれど、自分らの場合は「旅」を「移動」と捉えていて、「移動」がかなり大きな部分を占めているから・・・。

今の中南米諸国の歴史は、基本的に16世紀のスペイン人による征服から始まる。
マヤやインカというのは残念ながら失われてしまった文明で、今の世に綿々と受け継がれているわけではない。
悲しいかな、今ある国の歴史は基本的にスペイン人の制服から始まるのだ。
一部の国を除き、南米の最南端からメキシコに至る広大な範囲にわたって公用語はスペイン語だし、町の造りもスペイン征服時代のコロニアル調。
南米ではブラジルとギアナ3国の毛色がちょっと違ったが、基本的には国が変わっても劇的に変化することはなかった。
失礼ながらどこに行ってもあまり変わらないといった印象だ。
そしておそらく中米もその延長線上にある・・・。
もうコロニアル調はお腹いっぱい、というのが今の正直な心境である。
どこに行ってもスペイン語が通じる、というのはある意味すごいことだが、逆に個々の国の魅力を奪いかねない最大の要因でもあると思う。
独自の言語がないというのは便利なこともある反面、寂しいことには違いあるまい。

そろそろアジアへ帰りたいかなぁ・・・などと考えたりもする今日この頃である。
メキシコとキューバは楽しみにしてるんだけどねぇ~。

2011/2/19 土
今日ようやくパナマのメイン・イベント、パナマ運河へ行ってきた。
パナマ運河は言わずもがな、太平洋とカリブ海を結ぶ全長約80kmの閘門(こうもん)式運河で、マゼラン海峡やドレーク海峡を回りこまずに南北アメリカ大陸を横切ることができる。
その存在価値は絶大だ。
運河中央部の標高が高いため、閘門(こうもん)を採用して船を上下させて通過させている。全長に渡り三箇所に閘門があり、パナマから最も近いところにあるのがミラフローレス閘門。
パナマ市街からミラフローレス閘門まではバスを乗り継いで行くことができる。市街地からバスターミナルまで$0.25、ターミナルからミラフローレスまで$0.35、ターミナルの使用料が$0.05、計$0.65で行くことができるが、面倒だし時間もかかるからタクシーを使った方がいいかもね~。ちなみにタクシーだと$6くらいらしい。
タクシーは閘門の目の前まで入れるが、バスは道路上で降ろされるので15分くらい歩く。
閘門に隣接して立派な4階建てのビルが建っていて、ビルの屋上から巨大な船が閘門を通過する様を間近に見ることができる。
ビルの中は簡単な博物館になっていて、運河の歴史や構造をスクリーンで見られたり、様々な展示物を見られたりしてこちらもなかなか面白い。
入場料は博物館の入場券とセットで学割$5。

いやーパナマ運河は単純に面白かった。何時間見ていても飽きない(個人的には・・・)。
後で偶然会った同じ宿の日本人には、「よくそんなに長い時間粘りましたねぇ」と呆れられたが、時間が許すならもっとずーっと見ていたい気分だった。
それと同時に、「運河がある限りパナマ共和国は永遠に不滅です!」と強く感じた。
運河通航による収益は計り知れまい。それに運河の維持管理や拡張工事など、運河がある限り仕事が尽きることもあるまい。
まさに運河様さま、打ち出の小槌、パナマの経済的繁栄は完全に運河と共にある。

パナマ運河は当初、スエズ運河のフランス人設計者レセップスの計画でフランス主導で着工したが、技術的問題、資金調達の問題、それからマラリアの蔓延などで頓挫し、10年ほどで計画を放棄。
跡を継いだのはアメリカで、運河の建設権と関連地区の永久租借権を得て工事に着手、10年の歳月を経て1914年に開通した。
当初、運河収入はパナマに帰属するが、運河地帯の施政権と運河の管理権はアメリカに帰属していた。
1999年、運河及び運河地帯の施政権が正式にパナマへ返還され、現在パナマ運河はパナマ共和国が管轄している。
閘門のサイズにより、現在運河を通航できる船舶のサイズは、全長294m、全幅32.3m、喫水12m以下に制限されている。
ちなみに・・・第二次世界大戦中のアメリカ海軍の艦船は、パナマ運河航行限界で建造された。
通航量の増大や船舶の大型化の流れを受けて、現在運河の拡張工事が進められている。
完成後は通航できる船舶のサイズが緩和され、全長366m、全幅49m、喫水15mまでの航行が可能となり、通過可能船舶の範囲が大幅に拡大する。
が、それでも、積載時の喫水が元々大きいタンカーや鉱石運搬船は対象外で、コンテナ貨物船のうち最も大型の一部も新閘門に対応できないものがあるらしい。

パナマ運河の通航料について調べてみた。
通航料は船種や船舶の積載量、トン数や全長などによりパナマ運河庁が定めている。
1トンにつき$1.39、平均で$54,000ほどであるらしい。近年は船舶の大型化による通航料の最高額更新が続いているのだとか・・・。
2008年にとある豪華客船が$313,000以上を支払ったのが当面の最高額であろうか。
ちなみに通航料の最低額は、1928年にパナマ運河を泳いで通過した(当時はそんなことが許されたのか!)米国の冒険家リチャード・ハリバートンが支払った36セントであるらしい。

見ていて面白いのは、閘門のある運河の溝を、狭すぎて自力航行できない船舶が(自らの機関も併用しているようではあるが)電気機関車に牽引されていくところだ。
前後左右4台の機関車からそれぞれワイヤーで引っ張って船を水路の中央になるよう保ちながら牽引する。そして水路を出た後は大きなタグボートに曳航されていく。
もちろんパナマ運河はヨットなどでも通航することができる。
プエルト・オバルディアからの航海中、あれだけ大きく立派に見えたヨットがさすがにここではゴミのように見える・・・。
小さな船を何隻かまとめて閘門を通過させていた。

というわけで、パナマ運河は一見の価値ありです。
古今東西を問わず、巨大な建造物というのはそれだけで単純に感激できるものだ。

さて、帰りも当然バスで、と思っていたのだが、今日が土曜だからかいつもこうなのか、バスが一向に来ない。来ても何故か止まってくれない。立派なバス停があって、待ってる人が数人いるにもかかわらずだ。
地元の人と思しき人たちと一緒に1時間待ったが埒が明かず、どうしたもんかなぁと思っていたところで同じ宿の日本人二人がやって来て、結局4人でタクシーをシェアしてターミナルまで帰ってきた。タクシー代、4人で$4.5也。

パナマのバス・ターミナルには巨大なショッピング・モールが併設されている。このモールがまたスゴイ。ターミナルの方が完全にオマケといった様相である。
せっかくだから時計の電池交換したいなぁ、あわよくば靴も買いたいなぁなどと思ってちょっと中をブラブラしてみるが・・・。
これはいかん・・・完全にアウトだ。
実は自分ら、人ごみが大の苦手だ。これが青空の下ならまだしも、頭を抑えられた閉鎖的な空間だったりすると完全にアウト!30分もしないうちに限界となる。
目は異常に疲れるし、何故か足も異様に疲れる。何より息苦しくて窒息しそう・・・。
日本にいるときからずっとそうだったんだけど、思うにこういうところで必要な体力というのは、山で必要な体力とはまったく別個のものであるらしい。
日本にいくつもある巨大なアウトレット・モールやイオンのようなモール、こういうところに毎週のように出かけて行ってブラブラしている人たちの体力は、自分らからすると計り知れない。まったくアンビリーバボーだ。絶対真似できん・・・。
まぁそれでも何とか電池交換だけでも・・・と思い、モールの中にあるらしいカシオのショップを求めて彷徨い歩く。
日本のモールならありそうな見取図みたいなのが一切ないので、何がどうなっているのかさっぱりわからん・・・。
結局、見つけたカシオのショップでは電池交換できず、モールの中にあった別の時計屋で交換できた。ここの時計職人のおっちゃん、いい仕事をしたよ。
「どれ、貸してみな」って感じで時計を受け取ると、目にルーペを当ててササッと裏蓋を開けると、ものの2、3分で電池を交換してくれた。日本のように「メーカが○○だから・・・」とか細かい話は一切なしだ。
しかも代金たったの$5.35。日本でプロトレックの電池交換すると2,600円とか取られてたような気がするけど、あれっていったい何だったんだろうねぇ・・・人件費?
いずれにしても電池交換できてよかった。時計はともかく、これで何の心配もなく高度計が使える。

帰りは世界遺産でもあるらしい歴史地区、カスコ・ビエホを見るべくバスでセントロへ出てみた。食傷気味のコロニアル建築ではあるが、一応見ておくかってことで・・・。
イギリスの海賊ヘンリー・モーガンによって17世紀に徹底的に破壊されてしまった旧パナマの町は廃墟だった。
人々の生活する建物の合間に古いコロニアル建築の朽ちかけた壁の一部が残っている・・・そんな感じ。今一所懸命再生しているところで、工事用のネットを張られた古い建築物が並んでいる。
カスコ・ビエホからパナマ湾を挟んで見る新市街の高層ビル群は壮観だった。

パナマの路線バスは非常に使いづらい。道路が一方通行で、行きと同じ道、同じバスで帰って来られないからだ。
「ヴィア・エスパーニャ?」とちゃんと行き先を確認して乗ったのに、最初のバスは(たぶんエスパーニャ通りをかすめはしたのだろうが)あらぬところへ行ってしまい、「いい加減違うだろう」というところで乗務員に聞くと、「あちゃー・・・別のバスで戻らないとダメだよ」って話。
「悪かったね」ってことでここまでのバス代はタダにしてくれた。けっこういい人だ。
別のバスに乗って途中まで来た道を戻り、結局トータル1時間半くらいかけて新市街まで戻ってきた。
ふ~それにしても難儀なバスだ。

19feb2011 パナマ運河のミラフローレス閘門 19feb2011 目の前を巨大船が通過してゆく
パナマ運河のミラフローレス閘門           目の前を巨大船が通航してゆく

19feb2011 閘門は巨大な鋼鉄の扉 19feb2011 電気機関車が船を牽引する
閘門は巨大な鋼鉄の扉                 電気機関車が船を牽引する

19feb2011 見ていて飽きない 19feb2011 通航してきたヨット・・・ゴミのように小さい
見ていて飽きない                     あれだけ立派に見えたヨットがゴミのようだ・・・

19feb2011 こちらはカーキャリアー 19feb2011 カスコ・ビエホから望む新市街の高層ビル群
こちらはカーキャリアー                 カスコ・ビエホから望む新市街の高層ビル群
関連記事
スポンサーサイト



Comment 0

There are no comments yet.

Leave a comment