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ダマスカス

2010/6/9 水
バスでダマスカスへ移動する。
ヨルダン-シリア間を陸路越境する場合、使える国境はジャーベル国境とラムサ~ダラー国境の2ヶ所。このうちジャーベル国境はアンマンとダマスカスを結ぶハイウェイが通る国境である。ジェット・バスなどの国際バスを使うと自動的にジャーベル国境を通ることになるのだが、ビザを持ってない場合ジャーベル国境は厳しいかも・・・手続きに時間がかかるのでバスにおいていかれる恐れがある。
自分らはジェット・バスを使ったのだけれど、セルビスやバスを乗り継いでラムサ~ダラー国境から越境した方が精神衛生上よろしいような気がする。
アンマン、カイロのシリア大使館では居住者以外ビザを取得できないので、南から北上してシリアに陸路越境したい場合、現時点ではビザを取得できる大使館が存在しない。レバノン-シリア国境ではビザの取得が可能なのだけれど、ヨルダンとレバノンは接してないのでアンマンからベイルートまで飛ばねばならない。
これまで色々な人から聞いたところ、国境で問題なくビザを取れているようなので楽観視していたのだが・・・。ちなみに北朝鮮の絡みで韓国はシリアと国交がないのだが、韓国人もあっさり国境でビザが取れているようである。
朝6:00に日本人の女の子二人組とタクシーをシェアしてジェット・バスのオフィスへ。運賃はルアイに聞いていた通り1JD・・・だったのだけれど、女の子二人組の荷物が巨大で結局2JDとなってしまった・・・まぁ仕方ない。
オフィスでチケットを購入してバスを待っていると、予定通り6:30過ぎにバスが来た。外国人旅行者も15、6人いたのだが、ビザを持ってないのは自分ら以外にカナダ人4人だけ。とりあえず自分ら以外にもビザを持ってない人がいたので心強い。
乗務員にビザを持っているかどうか確認され「持ってない」と答えると、「バスは5分しか止まってないからそのつもりで」と脅しをかけられる。5分というのは大袈裟だけれど、果たして無事に越境できるのかどうかちょっと不安になる。
荷物を積み込むときに荷物代を請求されたが、ヨルダン人やシリア人は誰も払ってないので突っぱねた。
相変らず道は快適で、僅か1時間で国境に到着。ヨルダン側は出国スタンプをもらうだけなのでもちろん問題なし。ヨルダン-シリア国境には2~3kmの緩衝地帯があり、徒歩での通過は不可。そのままバスに乗ってシリア側の国境へ。
イミグレには外国人専用の窓口があり、自分らの乗ってきたバスの乗客以外に人はおらずとても空いている。ビザのある人はスムーズに入国スタンプをもらえていたが、ビザのない自分らは「何故ビザを持ってない?」等のやり取りの末、脇で待つように言われる。窓口の係官がとても短気な人で、聞き直しただけで怒鳴り始める・・・うぅぅむ、なんとなくダメそうな予感。
もう一人、JICAの職員でヨルダンに住んでいるという日本人のおばちゃんもビザがないようだ。マルチのビザを取得していたのだが3ヶ月の期限が切れてしまったらしい。
ビザを持ってる人は全員手続きを終えてバスに戻り、自分らだけ取り残される形に・・・。バスの乗務員がイライラしながら何度もやって来て窓口に状況を確認している。「もっと係官をプッシュしてくれ~」と心の中で叫ぶ。
1時間近く経っただろうか、遂に裁定が下された。カナダ人4人が乗務員に呼ばれ、「当分時間がかかるから次のバスで行け」と言い渡され荷物を降ろすよう指示される。5時間後くらいに次のバスが来るらしい。
そして自分らが窓口に呼ばれる。ダメ元で窓口に行ってみると、意外にもビザをくれるらしい・・・日本人でよかった~!
JICAのおばちゃんは緑色のパスポートが悪いのか、詳細はよくわからないが入国が許可されなかった模様・・・日本からの友達3人と一緒だったのに気の毒なことだ。
自分ら二人はどうやら入国できそうなのだが、一つ誤算が・・・ビザ代が$24らしい。通常のシングル・ビザを発給してくれる模様である。$8のトランジット・ビザを取ってすぐレバノンに抜け、最初にレバノンを回ろうと思っていたのに・・・。
ここで下手に注文などつけて入国できなくなったりしたら元も子もないので、素直に従う。でも、内心はちょっとショック・・・。
パスポートを受け取ってバスに急ぐ。自分ら二人のためだけにバスを1時間も待たせてしまっているので非常にばつが悪い。運ちゃんもカンカンである。運ちゃんと乗客の皆さんにひたすら謝りながらバスに乗り込む。
何はともあれ晴れてシリアに入国。シリアに入ると景色が一変、緑が豊かである。スーダン以降ずっと砂漠ばかり見ていたので新鮮だ。畑仕事をしている人を見るのなんてエチオピア以来だ。
終点に着きバスから降りて近くの人に今いる場所を尋ねるが、英語がまったく通じねぇ~。どうやらダウン・タウンからはけっこう離れていて歩いては行けないらしい。タクシーの言い値200SPや100SP(シリア・ポンド、1SPは2円くらい)はちょっと高い気がして他の交通手段を当たる。セルビスはダウン・タウンに入れないのか、ないらしい。
売店のおっちゃんにバスがないか身振り手振りで聞いてみると、親切に路線バスを止めてくれた。いきなり路線バスに乗れて勝手がわかったのはラッキーだった。運賃は一人10SP。
バスに乗って景色以上に人の様子が一変したことに気付く。シリアの人は皆寡黙で物静かなのだ。バスの中が騒々しくない。人が親切なのは他のアラブ国と同様である。
マルジェ広場でバスを降り、地図とコンパスを頼りに、人に道を聞きつつ安宿の集まるエリアに辿り着く。情報ノートにあった韓国人宿はなくなってしまったらしい。近くのAL SAADA HOTELにチェックイン。
ダマスカスは聞いていた通り宿代が高く、トイレ、シャワー共同のWの部屋が一泊1,100SP、二人だとドミに泊まるのと殆ど変わらないのでWの部屋にチェックイン。
何だかんだで疲れてしまい、しばらく休んでから旧市街に出掛ける。ダマスカスの旧市街は世界遺産に登録されている。
アラブ世界でも有数の大きさを誇る旧市街のスークは見事だ。まるで迷路のようなスークはたくさんの人でごった返している。ごった返しているのだが、雰囲気はアジアやアフリカ、他のアラブ圏のそれとは異なる。どことなく物静かで落ち着きがある。通常これだけ人が集まると相当騒々しいはずなのだが、それほどのことはなく淡々としていて独特な雰囲気がある。
ムスリム第4の聖地であるウマイヤド・モスクは荘厳で美しい。ムスリム以外の人でもモスクの中に入ることができるが、女性は受付でコートのようなものを借りて髪の毛と肌を隠す必要がある。
16:30になるとスピーカーからコーランが響き渡り、モスク内で壁に向かって多くの人が一心に祈る姿は感動的だ。エジプトやヨルダンなどと比べ黒いコートのような服で肌を隠した女性が目立ち、より敬虔な印象を受ける。モスク内のちょうど半分くらいのところに鎖が渡されていて、ムスリムの女性はそこから先には入ることができない。
ウマイヤド・モスクから東に下っていくと、キリスト教徒地区がある。その南側はかつてユダヤ人地区だったらしいが、第2次大戦後にほとんどの住民がイスラエルやアメリカに移住してしまった。
メインの通りからちょっと横に入ると、狭くて静かな路地が続いている。通りに面した家々の入口は狭いのだが、中に入ると中庭が広がっていてかなり広いのが面白い。
ダマスカスは独特な雰囲気を持つ町だ。旧市街はもちろん、新市街にもその雰囲気は活きている。欧米や日本の製品が多く見受けられるのはもちろんなのだが、それを鵜呑みにせず独自の世界と上手く融合させているのがスバラシイ。

9jun2010 スークの中のジュース売り 9jun2010 ウマイヤド・モスク

9jun2010 モスクの壁に向かって祈る人たち 9jun2010 旧市街の路地

9jun2010 モスクの近くのスーク

2010/6/10 木
AL SAADA HOTELには日本人がもう一人、女の子一人で長旅を続けているユカちゃんがいた。彼女は流暢に英語を話すのだが、留学したり海外に住んでいた経験があるわけではないらしい。旅先で身につけたものだというから驚きだ。旅先でここまで身につくものかねぇ・・・脱帽です。
アンマンに南下するユカちゃんと別れクネイトラに行く。クネイトラはゴラン高原の東麓にあるかつての町だ。かつての町というのは、第四次中東戦争後、1974年にイスラエルが撤退する際に爆撃され今は廃墟となっているからだ。イスラエルの残虐行為の記録として、爆撃跡がそのまま修復されずに公開されている。
ゴラン高原は元々シリアの領土であるが、第三次中東戦争に勝利したイスラエルが占領して以来双方が自国の領土として主張している。双方にとって戦略上の要衝である。
クネイトラに行くには、まずダマスカスにある内務省の出先機関で入域許可を取らねばならない。出先機関までは宿から歩いて30分足らず。各国の大使館などが建ち並び、路上に高級車がズラリと並ぶカシオン山の麓にある。
守衛所のようなところで要件を告げ、建物の中から現れた内務省の職員にパスポートを渡して30分ほど待つと許可証を発行してもらえる。
まずは近くのロータリーからセルビスに乗ってバラムケまで。近くにいた兵士にバラムケに行きたい旨告げるとセルビスを止めてくれた。で、バラムケのバス停までセルビスの運ちゃんがタダで乗せてくれた。ムスリムの懐の深さに感動。
セルビスを降りて近くのおっちゃんに聞くと、どうやら路線バスに乗ってソマリーというところまで行き、そこからセルビスに乗り換えてクネイトラに行けるらしい。またしてもおっちゃんが路線バスを呼び止めてくれた。
路線バスの料金はどこまで乗っても一律10SPのようである。ソマリーに着くと各方面行きのセルビスがうじゃうじゃいる。クネイトラ行きのセルビスを教えてもらって乗り込む。
クネイトラまでは意外に遠く、セルビスで1時間ほど。運賃は一人35SP。着いたのはバスターミナルのようなところ。なかなか目的のクネイトラには着かない。
「クネイトラに行きたい」と聞いて回ると、どうやらまずはポリスでパスポート・チェックを受けねばならないらしい。ポリスに行ってパスポートと、先ほど取得した入域許可証を見せる。
ここからまたセルビスに乗る。途中、検問のようなところで係官にパスポートと入域許可証を提示すると、そのまま近くの建物に持って行って何やらチェック。
パスポートと許可証を返してもらってからまたしばらく走ると、ようやくクネイトラのゲートに着く。最後のセルビスは一人10SP。
現在クネイトラは国連監視下の非武装地帯となっている。至るところに「UN」の標記が目につき、「UN」と書かれた白い車もたくさん走っている。
西にゴラン高原を望むクネイトラは緑豊かでキレイなところだ。人がほとんど住んでおらず付近は静寂に包まれている。標高は1,000mくらい。風が強く半袖では肌寒いくらいだ。見渡す景色はどことなくパタゴニアに通ずるものがあり、どことなく「この世の果て」を感じさせる。
ゲートでセルビスを降りると、内務省の係員が迎えてくれる。勝手に見て回れるわけではなく、係員同伴で廃墟の町を見学するわけだ。
パスポートと入域許可証を係員に預け、ゲートを越えて廃墟の町に入る。石とコンクリートでできた建物は全て見事なまでに破壊されている。潰れた建物の向こうには草木の緑が眩しく、そのコントラストが、静寂とも相まって一層「この世の果て」のような雰囲気を醸し出している。
ムスリムのモスクもキリスト教会も破壊されている。
最も衝撃的なのは病院跡だ。もう滅多打ち状態で、壁一面に弾痕がある。建物の中の壁も一面弾痕だらけだから、地上からマシンガンで蜂の巣にされたものだ。ここでは100人が犠牲になったと係員が教えてくれた。
廃墟の町中でこれだけ無闇やたらと弾痕が残っているのは病院跡だけだ。それが病院だったというところに狂気を感じる。
1時間ほどかけて町の中を見て回った。さっきも書いたけど、青空の下廃墟の向こうに見える緑がとてもキレイで、そのコントラストが悲惨さというか虚無感のようなものを増長している。
ゲートの守衛所で監視兵と一緒に帰りのセルビスを待つ。シリアに限らず、マシンガンやライフルを持った兵士や警官は多くの国の町中で普通に見かけるので別に珍しくはないのだが、場所が場所だけにただならぬ緊張感を感じる。
車がゲートに近づくと、AK47と思しきマシンガンを手に取り緊張した面持ちで車をチェックしに行く。でも、車が来ないときは守衛所の中でTVを見たりお茶を飲んだりタバコを吸ったり・・・AK47も壁に掛けたままだ。時々そのまま外に出たりするので、壁に掛けられたAK47に手を掛けようと思えば掛けられる・・・なんだか訳がわからんけど恐ろしい。もし自分らが過激派だったらどうするんだよ~!
30分もすると帰りのセルビスが来た。帰りはクネイトラからソマリーまで一本のセルビスで行くことができた。料金は行きの二本分と一緒、一人45SP。
ソマリーからは路線バスに乗ってマルジェ広場まで帰ってきた。路線バスは降りるところを見極めるのが難しく、思わずバス停一本分乗り過ごしちゃったけど。
ダマスカスは宿代は高いけど、売ってる飲み物や食べ物の類は安い。シュクリー・アル・クワトリ通り沿いにあるアイスクリーム屋のレモンアイスが絶品!アイスクリームでもなくシャーベットでもなくその中間くらいの未体験の食感で、甘くなくて暑いときに食べると最高!カップに並々と入っていてお値段たったの10SP、20円くらいである。
でも外食となると安く食べられるところがなくて不便している。いい加減ファラフェルのサンドイッチも食べ飽きたし、今日は近くの商店で見つけたラーメンを部屋で作って夕食を済ませた。
宿で手伝いをしている小さな男の子がとても可愛い。

10jun2010 ダマスカス市街とカシオン山 10jun2010 クネイトラ1

10jun2010 破壊された病院内 10jun2010 病院内の壁に残る弾痕

10jun2010 クネイトラ2 10jun2010 クネイトラ3
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