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佐賀まで自転車を取りに行く その9 余部鉄橋と経ヶ岬灯台

【9日目】
2019/3/31 日
曇り時どき晴れのち雨
始:8:15 ~ 終:19:20 走行:306km
(道の駅あまるべ)0815 ~R178~ (香住) ~ (豊岡) ~ (久美浜) ~ (浜詰) ~県665~ (浅茂川温泉) ~ (網野) ~R178~ (丹後) ~ (経ヶ岬) ~ (伊根) ~ (天橋立) ~ (岩滝) ~県2~ (宮津) ~R178~ (由良) ~R175~R27~ (舞鶴) ~ (五老岳公園) ~ (高浜) ~ (大飯) ~ (小浜) ~R162~ (三方) ~R27~ (美浜) ~ (敦賀) ~R8~ (琵琶湖) ~県44~1920(道の駅水鳥公園)

朝になると雨は上がっていた。
朝の散歩も兼ねて、まずは余部鉄橋を見学に行く。

正しくは「余部橋梁」ですね。特に今は二代目のコンクリート橋になっていますから。
ただし一部の鉄ちゃんの間では、今でも「余部鉄橋」と呼ばれている。余部の鉄道橋の略として。

ちなみに、駅名は「餘部駅」となる。
読みは同じく「あまるべ」であるが、異なる漢字を当てているのは、同じ兵庫県内に「余部(よべ)駅」というのがあるためだ。

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(左)旧駅に設置されていたもの、(右)現駅のもの
旧駅のものは現在、道の駅に隣接した簡易資料館のようなところの前に置かれている。

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同じく旧橋梁、いわゆる余部鉄橋の橋桁も現橋梁の下に展示されている。
すぐそこは日本海であり、橋の保守はさぞやたいへんだったことだろう。
1917年(大正6年)から1965年(昭和40年)まで、「鉄橋守」と呼ばれる人たち五人が常駐して維持管理を行っていた。
橋脚や橋桁の鋼材は当時日本にその技術がなかったために外国製で、橋脚の鋼材はアメリカから、橋桁の鋼材はドイツから、はるばる船で運んできたものである。

旧橋梁は1909年(明治42年)12月16日着工、1912年(明治45年)1月13日に完成、同年3月1日に開通した。
全長310.59m、下を流れる長谷川の河床からレール面までの高さ 41.45m。
2010年(平成22年)7月16日に運用を終了。翌7月17日から区間運休して旧橋梁の解体撤去作業が開始され、新旧切替工事が8月11日まで行われた。

現橋梁は2007年3月29日着工、2010年8月11日に切り替え工事が完了し、同年8月12日に開通した。
架設位置は旧橋梁よりも約7m南側(内陸側)で、これに伴い餘部駅のホームは従来線路の南側にあったものが北側に変更された。

2010年に新旧橋梁の切り替えが行われたときはニュースで大きく報じられたのだろうか?
自分らは日本にいなかったのでわからない。

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旧橋梁の橋脚と橋桁の一部は様々な議論の末に保存され、展望施設に整備されて活用されている。
新旧橋梁の位置関係が写真からわかる。

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展望施設の余部クリスタルタワー
中にエレベーターがあり、橋梁の上にあがることができる。
昨晩、はじめて暗闇に浮かび上がるタワーが見えたときは何事かと思った・・・。

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橋梁の上に出たところ
旧軌道が一部残っている。

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ちょうど列車が来た。

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もちろん歩いて駅まで上ることも可能。
帰りは歩いて下までおりた。

ときに、余部鉄橋では1986年(昭和61年)12月28日に列車の転落事故があった。
日本海からの強風に煽られて回送列車の客車が橋の中央部付近から転落したもので、橋の真下にあって列車が直撃した工場の従業員や、客車内に乗っていた人たちの中に数名の死傷者が出た。
当時ニュースで大きく報道されたのでおぼろに覚えている。

今回、この事故のことを少し調べていたら、関連して思いも寄らないことがわかった。
国鉄の記録によると、事故の時点で風による脱線は全国で16件あり、そのうち鉄橋からの転落は3件あったが、鉄橋からの転落で死傷者が発生したのは87年ぶり。
思いも寄らないことというのは、その87年前の事故というのが東北本線の矢板駅 - 野崎駅間にある箒川橋梁で起こっていたということである。
1899年(明治32年)10月7日に発生した日本鉄道(現在の東北本線)矢板駅 - 野崎駅間箒川橋梁からの客車の転落事故で、20人が死亡、45人が負傷した。

箒川というのは自分の実家からすぐのところにある川で、実家の最寄駅が野崎駅。
もちろん箒川に架かるその橋梁も列車に乗って何度も渡ったことがある。
が、ここでそんな大事故があったなんてことはこれまでまったく知らなかった・・・。
驚きました。

余部鉄橋をじっくり見てから出発。東へ。
香住の先で、本当は県道に入ってそのまま海岸沿いを行くつもりでいたのが、道路標示を頼りに走っていたらいつの間にか内陸のほうへ入っていた。
そのまま走っていると、またも自動的に山陰近畿道へ。
戻るのも面倒だし、天気も悪いし、まぁいいかと諦めてそもまま豊岡に抜けた。

竹野海岸のあたりを走れなかったのが残念だ。
同じく城崎温泉もパス。もっとも時間の都合で今回温泉に入るつもりはなかったけれど。
城崎温泉にはいつかそのうち行ってみたい。

久美浜で再び海岸線に出ると、その先の浜詰で今度は道を間違えた。
R178をはずれ、海岸沿いの狭い道に迷い込む。
そのまま抜けられそうなので海岸伝いに進んだ。

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いかにも日本海といった風景

R178に復帰し、いよいよ丹後半島。
丹後半島は初めてだ。目指すは経ヶ岬灯台。

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ようやく来ました経ヶ岬!
右下に見える駐車場に車をとめて灯台まで歩く。

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経ヶ岬灯台は、大好きな映画「新 喜びも悲しみも幾年月」の冒頭に出てくる灯台です。
そのうちと思いながらなかなか機会がなく、ようやく来ることができた。

今は灯台の東側からアプローチする道が整備されていて、今回もそちら側から登ったが、映画の撮影された当時(1986年)は西側からアプローチするようになっていて、映画の冒頭部分で大原麗子や中井貴一は西側からの道を登った。

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映画の中で大原麗子や中井貴一が登ってきたのはこちらから

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経ヶ岬灯台が無人管理に移行したのは、映画の撮影された二年後の1988年

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なかなかダイナミックな空模様
沖で雨が降っているのがわかる。

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灯台から少し登ったところにある展望所から、岬の西側の海岸線(丹後松島方面)を望む

経ヶ岬をあとにして、丹後半島をぐるりと回る。
伊根を抜け、天橋立へ。
天橋立は二人とも来たことがあるので(といっても自分はほぼ30年ぶりだったが)今回はスルー。
こんな時季でもけっこうな人出なのはさすが。

宮津湾をぐるりと回って舞鶴へ。
舞鶴にある海上保安学校というのも、映画「新 喜びも悲しみも幾年月」にチラッと出てくる。
映画はまさに中井貴一扮する青年が海上保安学校を卒業するシーンから始まる。

マユミのリクエストで五老岳公園に寄った。
自分は原作を読んだことがないので知らないが、山崎豊子の「不毛地帯」の最後にここが出てくるらしい。
シベリア抑留者が日本に帰還する際に上陸したのが舞鶴港で、それを記念する記念碑のようなものを山の上に建てたということだったが・・・行ってみたらそれっぽいものは特になかった。

後日調べてみたら、「引揚者用の桟橋が設置されていた平地区を見下ろす丘に引揚記念公園が開設され、その一角に舞鶴引揚記念館が建設された」とあったから、そこと勘違いしたのかも。
また別の機会に見てみたいと思います。

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五老岳公園からは舞鶴湾が一望できる。

再びR27に出て東へ向かうと、自衛隊桟橋のところでは何か海自のイベントが行われているらしく、海自の護衛艦が何隻か碇泊していて、それを見に来ている人が大勢いた。

高浜、大飯、小浜、三方、美浜と走って敦賀へ抜ける。
こうして走ってみると、福井県には原発が集中しているというのが改めてよくわかる。
高浜、大飯、美浜、敦賀と、ほとんど隣と言っていい位置関係に四基もある。さらに、敦賀原発と美浜原発の間には廃炉作業中の高速増殖炉もんじゅまである。

敦賀からR8に入ると、反対車線が大渋滞していた。
北陸道のどこかで大きな事故があったらしく、どうやらすべての車が高速から下ろされているらしい。
敦賀まで一本道で他に抜け道はないが、いったいこれらの車が敦賀まで抜けるのにどのくらいかかることやら・・・。

琵琶湖へ抜けても反対車線の渋滞はなお続いている。
暗くなって雨も降ってきた。
このままR8を走っていても寝場所は見つからないので、湖岸のさざなみ街道に出る。
こっちは真っ暗で、今度は何がどうなっているのかよくわからない。

結局、この日は道の駅水鳥公園に車をとめて寝た。
雨のためテントは諦め、最後の晩も車中でビバーク。

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翌朝撮影
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