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命をいただくということ

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ブログに書こうと思っていたことを、先にマユミに書かれてしまった。
→ 小さな菜園のある暮らし ジビエという名の魔法

自分が言いたかったのもまぁこういうことなんですけど、ちょっと追記をしておきます。

今の日本に生きていて、命をいただく、いただいているのだということを感じられる瞬間というのはどれだけあるだろうか?
それも頭で考えるのではなく、体で理解する、本能が瞬時に反応するというそんな場面が。

頭で考えれば、そもそも動物なんてものはみんな、植物のように光合成ができるわけではないのだから、植物に依存して生きている、植物に生かされている、ということになるけれど、だからといって植物の命をいただいていると感じることなどまずないと思う。
いや、考えればわかるんですよ、そういう理屈を。でも、それは本能が反応しているわけじゃない。

魚介類はどうだろうか。
切り身で売られている魚を見て、もしくは料理をしてそう感じる人はまずいないと思うけど、サンマのようにそのままの姿で売られているものならどうだろうか。
もしくは、貝やドジョウならそれこそ生きたまま売られているし、釣りをする人なら釣った魚を食べる場面があると思う。
そこで命をいただくのだと感じられるか?
感じられる人もいるだろう。そういう人は感性の鋭い人だと思う。
残念ながら、自分はいまひとつ感じられないんですよね。頭で考えることはできても、本能がそうは感じない。

肉にしても、パック詰めされているものを見て、もしくは触っても、なかなかそうは感じられないと思う。
鶏肉なんてかなりそのものズバリの形をしているけれど、それでもそうは感じられない。
なぜか?
それはたぶん「生」が感じられないからだ。「命」といったほうがいいだろうか。
そこにあるのは単なる肉の塊であって、生の感じられる存在ではないからだ。

猪や鹿を解体したらどうだろうか。
冷蔵庫に吊るされた猪や鹿を解体してみたら・・・。

これはもちろん感じる。命をいただいていると実感できる。
パック詰めされた肉を食べるのとはぜんぜん違う。
でも、正直にいえば、やる前に思っていたほど強烈に感じることはなかった。
それはたぶん、やはり対象が肉の塊だからだ。
まだ毛皮は着ているけれど、冷蔵庫に吊るされた瞬間、それは限りなく肉の塊に近い存在となってしまう。

ところが、「命をいただく」ということを強烈に感じられる、もう棒で頭を殴られるくらい強烈に突きつけられる、そんな瞬間があった。

止めを刺したばかりの鹿の腹抜きをするときだ。

止めを刺し、血抜きをしたばかりの鹿が施設に持ち込まれる。
それでも血抜きをしてからニ、三十分は経過していると思うが、鹿はまだ温かく、もちろん硬直もしていない。
冬場の今だと、水洗いしているときに湯気が立つほどだ。
そのまだ温かい鹿にナイフを入れるというのは強烈な体験だった。
もちろん内蔵もまだ温かい。ほんのり温かいというレベルではない。
まだ心臓が鼓動しているのではないかと思えてくる。
まるでまだ生きているのではないかと、今にも動くのではないかと、そんなふうに思えてくる体温だ。

いや、厳密にいえばまだ生きているのだ。
鹿という総体としては死んでも、個々の臓器は生きている。だからこそ臓器移植なんてことが可能なんだし。
さらに細胞レベルでいえば、個々の細胞はまだまだこの先長らく生きている。
だから「死」というものをどの時点とするかは非常に難しい、ということを養老孟司氏が「死の壁」の中に書いていた。

そんなふうにして腹抜きし、解体した鹿の肉を食べるとき、命をいただいているのだと強烈に感じる。
マユミも書いていたけど、そのように鹿の受入れに立ち会ったときには、時どき肝臓や心臓をもらってくる。
(鹿に申し訳ないけど、その場にもしもらう人がいなければ、他の臓器と一緒に山に埋めてしまうのだ、今の施設のシステムでは。)

受入れをしているあいだ水につけておいたものを持ち帰るのだが、家に着いてもまだほんのり温かい。
新鮮でなければ食べられないので、ものすごい特権だ。
ハツ(心臓)はすこぶる美味しい。取り出してすぐすべての心室、心房にナイフを入れて血(の塊)を洗い流す、ということを猟師さんに教わった。
レバーも美味しいのだが、やはりちょっとクセがあるのと、大きすぎてなかなか二人では(数日に分けても)食べきれない。

本で読んだことであるが、フランスなどでは脳も食べている、しかもすこぶる美味しいらしい。
が、残念ながらこれはかなり難しい。
より鮮度が求められるし、取り出すのがたいへんだからだ。
そのうち食べてみたいと思っているけれど、なかなか難しいだろうなぁ・・・。

12月になって立て続けに鹿がとれ、連日のように解体と精肉をしている。
これから徐々に、とれた鹿はなるべく捨てるところがないように利用できるようにしていきたいと思っている。
「命をいただく」ということを本能で感じながら、美味しく大事にいただいていきたい。

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