冬の野宿遍路 45日目 できるだけ前へ・・・
2016/3/10 木
曇り、朝5℃ (温度計の精度不良により4℃程度低く見積もっている可能性あり 2017/12/27追記)
始:6:55 ~ 終:18:10 歩行:30km
(河川敷公園)0655 ~ 0750(83番一宮寺) ~ (源平うどん) ~ (三条) ~ (屋島) ~ 1230(84番屋島寺) ~ (洲崎寺) ~ 1535(85番八栗寺) ~ (二ツ池親水公園) ~ (牟礼) ~ (志度) ~ 1735(86番志度寺) ~ 1810(志度寺後ろの海岸)

快適なテン場だった。
朝までにテント本体もフライもほぼ乾いた。
食料が何もないので、テルモスのコーヒーも飲まずに出発。
住宅地内の狭い道を83番一宮寺(いちのみやじ)へ。
ちょうど小中学生の登校時間と重なってしまい、歩きにくい。

83番一宮寺 時間が早いためか空いていた
寺を出て県道に出たところにうどん屋があり、幸運にも開いていたので吸い込まれた。
ぶっかけうどんの温かいのを食べる。とり天がデカイ!
その場で麺を打っている店で(製麺所の麺を使っている店も多いと思う)、珍しく関東のように汁が醤油で黒かった。

源平うどんのぶっかけうどんと、とり天
腹ごしらえをしたところで、84番屋島寺(やしまじ)へ向う。
高松市街を抜けるまでは、路側帯の狭い道だったり、さもなくばR11だったり、非常に不快。
市街を過ぎ、屋島に入る。
屋島というのは、源平合戦におけるあの屋島の戦いのあった屋島である。
恥ずかしながら、屋島が四国の讃岐にあったとはこのときまでまったく知らなんだ。今の今まで、どこか瀬戸内海の島であるとばかり思っていた。
さらに言えば、屋島どころか四国自体が源平合戦の舞台とは無縁であると思っていた。生まれてこの方ず~っと。
平家物語を含め、源平合戦の頃の歴史や小説をこれまでまともに読んだことはなかったし、その頃をテーマにした大河も見たことがなかったんですね・・・。
いや~びっくりした。
屋島寺は屋島山の上にある。
屋島小学校の手前にある池の近くを歩いているとき、出会ったお婆さんに300円を接待していただいた。
大切に使わせていただきます!
その池の先から道が本格的に上り始める。21%の激坂だ。

この程度の坂なら山村へ行けばいくらでもあるが、勾配が標示されているのは珍しい。
もちろん歩きならなんでもない坂であるが、自転車で上るのはキツイだろう。

84番屋島寺 山門

(左)本堂と、(右)その隣にある蓑山大明神
屋島寺は見晴らしのよいところにあり、屋島ドライブウェイという有料道路(歩行禁止)を使って上まで車で上がれるので、お遍路以外の観光客もたくさんいる。
山の上からは、屋島合戦の舞台となった場所を見晴らすことができる。

(左)正面の山が五剣山(八栗山)。ちなみに手前の浦は壇の浦というが、壇ノ浦合戦のあった壇ノ浦(下関にある)とはもちろん別の場所である。
(右)ちょっと奥まった感じになっているところが、那須与一が扇の的を射た場所である。勝手に想像していた場所とはずいぶん違うイメージ・・・。
山から下り、壇の浦を渡った先にあるマルナカで買い出しと昼食休憩。その付近にうどん屋のあることを期待していたのだが、残念ながらなかった・・・。
ベンチに座っていると、おばちゃんのお遍路が一人やって来た。話をすると岡山の人で、分割で歩き遍路をやっているということだった。
確かに岡山だったら来やすいよなぁ・・・海を渡ればすぐだから。
85番八栗寺(やくりじ)は五剣山(八栗山)の上にある。
その上りでも再び岡山のおばちゃんに会い(遍路道を外している間に自分らが追いついた)、歩きながらお喋りをした。
ニシバヤシさんといい、ウルトラマラソンをやっていた人だった。どうりで歩くのも速いわけだ。
250kmの萩往還にも四回出場したことがあり、うち一回は完走したと言っていた(制限時間48時間で、寝ずに走るのだとか)。

85番八栗寺
八栗寺はケーブルで上がることもできるし、南から車で上がってくることもできる。
お遍路の団体ツアーが次から次にやって来てすごいことに・・・。
寺自体は古くて落ち着きのある、(変な言い方だけど)いい寺だった。
ニシバヤシさんは膝を壊してマラソンをやめていたので、下りは辛そうだ。
途中でいったんパスして先行する。
今日は切る場所が難しい。
昨日確認したところ白鳥温泉は10:00~21:00まで開いているので、明後日の朝ということだと時間が早すぎて入れない可能性が高い。明日結願した後にがんばって白鳥温泉まで歩き、入ってしまおうという作戦に。
よって、今日はできるだけ前に進んでおいたほうがいい。
二ツ池親水公園(たぶんここも幕営可)の先、牟礼まで下りたところにあった公園はトイレのほかに防風林まで備えていた。いかにも快適そうであったがスルー。
その先にある道の駅(源平の里むれ)も、奥に珍しく公園のような場所があって快適そうに見えた。が、やはりスルー。
素敵なテン場を次々スルーしてやった。
牟礼から志度に入る。
一部に古い町並みの残るそこは、屋島で義経軍に敗れた平氏が落ちていった場所である。
平氏は志度寺に立て籠もって義経軍を迎え撃ったが(志度の戦い)、結局は追われて再び海上へ逃れていった。
四国を追われた平氏は海上に孤立し、瀬戸内海を転々としながら彦島へと退いていくことに・・・というのが志度の戦い前後のくだり。
志度にはまた、平賀源内の旧邸もあったりする。

平賀源内の銅像が建っている。土佐以来久しぶりの銅像。
平賀源内旧邸を過ぎると、86番志度寺(しどじ)はすぐだ。
着いたのは17:35。閉門されてはいまいかと少々心配だったのだが、幸いにも山門が閉まっているということはなく、灯明と線香をあげていつもどおり参拝することができた。
志度寺の手前でサコッシュの肩紐が切れた・・・。

86番志度寺

(左)五重塔 (右)山門を出てすぐのところに平賀源内の墓がある
重みのある寺だった。
もう少しのんびりと境内を散策したいところであったが、残念ながら時間が押している。
参拝を終えたところでニシバヤシさんがやって来た。お軸に朱印を集めているニシバヤシさんは、途中、表装のことで仏具店に寄っていたらしい。
挨拶を交わして別れ、志度寺をあとにする。18:00の鐘が鳴った。
幸運なことに、テン場を期待して寺の裏手にある海岸に行ってみるとトイレがあった。
あいにくテントを張るには少々厳しい場所であったが、どこか近くに幕営できれば水とトイレの問題は解決。
海岸沿いに少々歩き、松の茂るスペースに強引にテントを張った。

翌朝撮影
曇り、朝5℃ (温度計の精度不良により4℃程度低く見積もっている可能性あり 2017/12/27追記)
始:6:55 ~ 終:18:10 歩行:30km
(河川敷公園)0655 ~ 0750(83番一宮寺) ~ (源平うどん) ~ (三条) ~ (屋島) ~ 1230(84番屋島寺) ~ (洲崎寺) ~ 1535(85番八栗寺) ~ (二ツ池親水公園) ~ (牟礼) ~ (志度) ~ 1735(86番志度寺) ~ 1810(志度寺後ろの海岸)

快適なテン場だった。
朝までにテント本体もフライもほぼ乾いた。
食料が何もないので、テルモスのコーヒーも飲まずに出発。
住宅地内の狭い道を83番一宮寺(いちのみやじ)へ。
ちょうど小中学生の登校時間と重なってしまい、歩きにくい。


83番一宮寺 時間が早いためか空いていた
寺を出て県道に出たところにうどん屋があり、幸運にも開いていたので吸い込まれた。
ぶっかけうどんの温かいのを食べる。とり天がデカイ!
その場で麺を打っている店で(製麺所の麺を使っている店も多いと思う)、珍しく関東のように汁が醤油で黒かった。

源平うどんのぶっかけうどんと、とり天
腹ごしらえをしたところで、84番屋島寺(やしまじ)へ向う。
高松市街を抜けるまでは、路側帯の狭い道だったり、さもなくばR11だったり、非常に不快。
市街を過ぎ、屋島に入る。
屋島というのは、源平合戦におけるあの屋島の戦いのあった屋島である。
恥ずかしながら、屋島が四国の讃岐にあったとはこのときまでまったく知らなんだ。今の今まで、どこか瀬戸内海の島であるとばかり思っていた。
さらに言えば、屋島どころか四国自体が源平合戦の舞台とは無縁であると思っていた。生まれてこの方ず~っと。
平家物語を含め、源平合戦の頃の歴史や小説をこれまでまともに読んだことはなかったし、その頃をテーマにした大河も見たことがなかったんですね・・・。
いや~びっくりした。
屋島寺は屋島山の上にある。
屋島小学校の手前にある池の近くを歩いているとき、出会ったお婆さんに300円を接待していただいた。
大切に使わせていただきます!
その池の先から道が本格的に上り始める。21%の激坂だ。


この程度の坂なら山村へ行けばいくらでもあるが、勾配が標示されているのは珍しい。
もちろん歩きならなんでもない坂であるが、自転車で上るのはキツイだろう。

84番屋島寺 山門


(左)本堂と、(右)その隣にある蓑山大明神
屋島寺は見晴らしのよいところにあり、屋島ドライブウェイという有料道路(歩行禁止)を使って上まで車で上がれるので、お遍路以外の観光客もたくさんいる。
山の上からは、屋島合戦の舞台となった場所を見晴らすことができる。


(左)正面の山が五剣山(八栗山)。ちなみに手前の浦は壇の浦というが、壇ノ浦合戦のあった壇ノ浦(下関にある)とはもちろん別の場所である。
(右)ちょっと奥まった感じになっているところが、那須与一が扇の的を射た場所である。勝手に想像していた場所とはずいぶん違うイメージ・・・。
山から下り、壇の浦を渡った先にあるマルナカで買い出しと昼食休憩。その付近にうどん屋のあることを期待していたのだが、残念ながらなかった・・・。
ベンチに座っていると、おばちゃんのお遍路が一人やって来た。話をすると岡山の人で、分割で歩き遍路をやっているということだった。
確かに岡山だったら来やすいよなぁ・・・海を渡ればすぐだから。
85番八栗寺(やくりじ)は五剣山(八栗山)の上にある。
その上りでも再び岡山のおばちゃんに会い(遍路道を外している間に自分らが追いついた)、歩きながらお喋りをした。
ニシバヤシさんといい、ウルトラマラソンをやっていた人だった。どうりで歩くのも速いわけだ。
250kmの萩往還にも四回出場したことがあり、うち一回は完走したと言っていた(制限時間48時間で、寝ずに走るのだとか)。


85番八栗寺
八栗寺はケーブルで上がることもできるし、南から車で上がってくることもできる。
お遍路の団体ツアーが次から次にやって来てすごいことに・・・。
寺自体は古くて落ち着きのある、(変な言い方だけど)いい寺だった。
ニシバヤシさんは膝を壊してマラソンをやめていたので、下りは辛そうだ。
途中でいったんパスして先行する。
今日は切る場所が難しい。
昨日確認したところ白鳥温泉は10:00~21:00まで開いているので、明後日の朝ということだと時間が早すぎて入れない可能性が高い。明日結願した後にがんばって白鳥温泉まで歩き、入ってしまおうという作戦に。
よって、今日はできるだけ前に進んでおいたほうがいい。
二ツ池親水公園(たぶんここも幕営可)の先、牟礼まで下りたところにあった公園はトイレのほかに防風林まで備えていた。いかにも快適そうであったがスルー。
その先にある道の駅(源平の里むれ)も、奥に珍しく公園のような場所があって快適そうに見えた。が、やはりスルー。
素敵なテン場を次々スルーしてやった。
牟礼から志度に入る。
一部に古い町並みの残るそこは、屋島で義経軍に敗れた平氏が落ちていった場所である。
平氏は志度寺に立て籠もって義経軍を迎え撃ったが(志度の戦い)、結局は追われて再び海上へ逃れていった。
四国を追われた平氏は海上に孤立し、瀬戸内海を転々としながら彦島へと退いていくことに・・・というのが志度の戦い前後のくだり。
志度にはまた、平賀源内の旧邸もあったりする。


平賀源内の銅像が建っている。土佐以来久しぶりの銅像。
平賀源内旧邸を過ぎると、86番志度寺(しどじ)はすぐだ。
着いたのは17:35。閉門されてはいまいかと少々心配だったのだが、幸いにも山門が閉まっているということはなく、灯明と線香をあげていつもどおり参拝することができた。
志度寺の手前でサコッシュの肩紐が切れた・・・。


86番志度寺


(左)五重塔 (右)山門を出てすぐのところに平賀源内の墓がある
重みのある寺だった。
もう少しのんびりと境内を散策したいところであったが、残念ながら時間が押している。
参拝を終えたところでニシバヤシさんがやって来た。お軸に朱印を集めているニシバヤシさんは、途中、表装のことで仏具店に寄っていたらしい。
挨拶を交わして別れ、志度寺をあとにする。18:00の鐘が鳴った。
幸運なことに、テン場を期待して寺の裏手にある海岸に行ってみるとトイレがあった。
あいにくテントを張るには少々厳しい場所であったが、どこか近くに幕営できれば水とトイレの問題は解決。
海岸沿いに少々歩き、松の茂るスペースに強引にテントを張った。

翌朝撮影
- 関連記事
-
-
冬の野宿遍路 40日目 讃岐に突入 2016/06/14
-
冬の野宿遍路 44日目 災い転じて福となす 2016/06/23
-
猿の惑星(冬の野宿遍路 おまけの移動日) 2016/07/04
-
冬の野宿遍路 41日目 そしてうどんの日々が始まる 2016/06/16
-
冬の野宿遍路 45日目 できるだけ前へ・・・ 2016/06/25
-
冬の野宿遍路 47日目 1番霊山寺に戻って四国一周完了! 2016/06/29
-
スポンサーサイト