冬の野宿遍路 43日目 三嶋うどんと、白峯寺と、最後の最後に・・・
2016/3/8 火
晴れのち曇り、朝6℃ (温度計の精度不良により4℃程度低く見積もっている可能性あり 2017/12/27追記)
始:6:55 ~ 終:18:20 歩行:28km
(西庄公園)0655 ~ (鴨川駅) ~ 0815(80番国分寺) ~ 0845(三嶋うどん)0940 ~ 1050(県道出合) ~ 1110(十九丁) ~ 1155(81番白峯寺)1230 ~ 1315(十九丁)1350 ~ 1430(82番根香寺) ~ 1630(岩田神社) ~ (ドラッグストア) ~ (岩田神社) ~ 1820(河川敷公園)
昨晩はシュラフをかけるだけで寝ていたのだけれど、夜が更けてから気温が下がり、2:30頃トイレに起きたときたまらずシュラフカバーを出した。
フライが夜露でびっしょり。
テルモスのコーヒーとパンを食べ、びっしょりのままテントを撤収して出発。
テン場の公園から鴨川駅まで、歩いて10分だった。
何はともあれまずはトイレを借りる。ようやく一息つけた。
80番国分寺(こくぶんじ)へ向い、開いていれば途中にある山下うどんでうどんを食べようと思っていた。
ここは、村上春樹の「讃岐・超ディープうどん紀行」の中に登場するうどん屋だ。その時に確信があったわけではなく、「だったような気がする」程度に思っていたのだが、旅から帰って久しぶりに読んでみたら、確かにそうだった。
残念ながら、坂出の山下うどんは閉まっていた。
開く時間も書かれてないので諦め。
そこからしばらくで高松市に入る(旧国分寺町)。
山下うどんは国分寺駅の近くにもあったのだが(よくよく見たら、地図に出ている山下うどんはこっちのほうだった)、こちらも開いてなかった。漂っている気配や匂いから、開きそうな雰囲気はあったのだけれど・・・。
近くで立ち話をしていたおばちゃん二人に訊くと、開くのは遅いという。
「いつ開いていて、いつ閉まっているのかもわからないわねぇ・・・」という話だった。
「そっちの三嶋うどんなら9:00頃開く」という。「三嶋さんのほうが何を食べてもおいしい」とも。
それなら参拝したあとに食べられそうだ。
おばちゃんは店の場所を詳しく教えてくれた。

80番国分寺 ここは午後五時に閉門されるようだ。書いてあるだけまだ親切といえる。

(左)本堂と、(右)大師堂
あれはダメ、これもダメ、でもお金はちょうだい。そんな感じのする寺だった。
8:45頃、おばちゃんの教えてくれた三嶋うどんに着く。国分駅前にある。
9:00開店と書かれていたので安心して待っていると、五分前に開けてくれた。
かま揚げうどんの大と油揚げをいただく。
かま揚げというのは釜から揚げたてのものをいただくということなのだろうけど、実のところ、「かけ」と「ぶっかけ」と「かま揚げ」の違いがよくわからない。「かけ」や「ぶっかけ」にも温かいのがあるから・・・。
季節にもよるだろうけど、個人的には、うどんは冷たいのを食べたほうがおいしい、というのが結論だ。
店のおばちゃんが話好きなえらく元気な人で、暫しお喋りにつかまる。
「もう少しでしっぽくができるから待ってて。食べさせたげるから」と言われるので、待ってご馳走になった。
「しっぽく」も旨かった。けんちん汁のようなものである。
おばちゃんの一押しは、メニューにもある「かやくご飯」。
「あと30分もあれば炊けるから食べてく?」とも言ってくれたのだが、さすがに失礼することに。

三嶋うどんの外観(左)と、自慢のしっぽく(右)

国分寺の先は山登りになる。道路脇にあるのはオリーブ畑。
今日も暑い。あまりに暑くて途中で半袖になった。
一本松で県道を横切り、さらにしばらく登ると十九丁に着く。
ここに荷物をデポして81番白峯寺(しろみねじ)を往復した。
白峯寺は非常に重みのある寺だった。
「十二支守本尊奉安之寺」となっていて、本堂と大師堂とは別に、干支ごとにお堂があるのがおもしろい。
例えば、未申年生まれなら大日如来様というように。
また、第七十五代崇徳天皇の御廟所があり、崇徳天皇を祭った頓証寺殿もある。

81番白峯寺

干支ごとにお堂があり、そこに可愛らしい石像がある

崇徳天皇を祭った頓証寺殿

崇徳天皇御廟所
白峯寺に長居となった。
十九丁まで戻り、パンを食べて休憩している間にびしょ濡れのフライを木に広げて干す。
完全には乾かなかったが、これでだいぶマシになった。
荷物をピックアップして82番根香寺(ねごろじ)へ。
やはり車道から山道に入るところに荷物をデポ。そこからすぐの距離だが、空身で札所を往復した。
根香寺も重みのある寺だった。

82番根香寺 (右)は本堂

(左)高野山にもこういう場所がある (右)樹齢約千六百年とされる白猴欅(はっこうけやき)の株(昭和五十年頃枯れてしまったらしい)
荷物をピックアップして山から下る。
下るともう高松の市街地である。市街に入りすぎるとはまりそうなので、今日のところは鬼無にある休憩所(岩田神社の前にある)で切るつもりでいた。
途中で入手した宿泊場所のリストには岩田神社とも出ていたので、休憩所か神社のどちらかに幕営できるだろうと目星をつけていた。

(左)山から下るともう高松の市街地である (右)60番横峰寺の手前でいただいた御守

(左)勝手に散歩してる犬が途中までついてきた (右)下界へ下ったら、いきなり尋常でない渋滞だった
山から下る途中には快適そうなテン場がいくつかあったが、下ってしまうとやはりテン場はなかった。
県道と交差するところに信号機がないため大渋滞の道路、そこを足早に通過してその先で踏切を渡る。さらにしばらく行ったところにトイレのある休憩所があった。
が、なんと休憩所は18:00に閉まるとあったので却下。
その目の前にある岩田神社を見てみると、そこにも珍しくトイレがあった。鳥居をくぐった先、随神門の手前に立派なトイレがある。素晴らしい。

岩田神社
この上ない物件なんだけど、あまりに立派な神社なので黙ってテントを張るのは憚られた。
随神門をくぐると社務所と、そのすぐ隣に住宅もあったので順に訪ねたのだが、あいにく留守だった。
うぅぅむ、どうしたものか。このままスルーするにはあまりに惜しい物件である。
たまたま神社の前を通りかかった買い物帰りのおばちゃんに、神社の人はどこにおられるのか尋ねてみると、なんと最近夫婦揃って亡くなったということだった。神社は今留守になっていて、少し離れたところに住む甥の方がたまに来て管理をされている、という話だった。
うぅぅむ、それでは許可のとりようがない。
試しに、テントを張っても大丈夫かどうか、おばちゃんに訊いてみた。
昨日のこともあるのであまり期待はしておらず、ダメもとで訊いてみたのだけれど、おばちゃんは躊躇もせずに「はい」と答えた。
なんと!完全に想定外の返事。
あまりに明確な返事だったので、安心して張らせてもらうことにした。
そうとなれば、ひとまず幕営するのはあとにして、まずは荷物を置いてスーパーへ。夕飯の買い出し。
スーパーのある場所もおばちゃんが教えてくれた。
この先の県道を1kmちょっと行ったところにドラッグストアがあり、そこで買い出しを済ませてルンルン気分で神社に戻ってきた。
テン場の検討をしていると、おっちゃんが一人やって来て、
「何をしている?」と仰る。
「かくかくしかじかの事情により一晩テントを張らせてもらいます」と説明すると、
「きちんと許可をとったのか?」と続けて仰る。
「かくかくしかじかの事情でして・・・」とさらに詳しくいきさつを説明すると、
「そのおばちゃんというのは誰なんだ?」という話に。
知らんがな・・・。
おっちゃんは、ハッキリ良いとも悪いとも言わない。
たぶん、自分らのことが目について、一言言ってやろうくらいのつもりで出てきたのだと思う。
「知っていたら管理している方の連絡先を教えてもらえないでしょうか?」と尋ねてみると、
「自分はそういう立場にないから」という返事。
ダメだこりゃ。
「(テントを張っても)良いという人がいても、嫌がる人もいる・・・」とおっちゃんの説教が続く。
そう、つまりはあなたみたいな人だ。
いろいろな考え方の人がいることなどもとより承知だが、神社を管理されてる方がいない以上、氏子の方全員の確認をとることなど不可能だ。
だからおばちゃんの意見で判断した。乱暴なやり方だけど、自分らの踏んだプロセスは決して間違っていないと思う。
ま、ダメだという人がいるなら張らないまでだ。もともとダメだといわれるところに強引にテントを張るつもりなど毛頭ない。
時間が押しているので、おっちゃんと押し問答している暇などない。
それならもう少し先へ行くか、ということにしておっちゃんとの話を切り上げた。
もうしばらく行けば河川敷公園というのがあることは知っていた。
最後の最後で今日もうまくいかなかった。
何か一言言ってやらないと気が済まない、たぶんそれだけのことだったのだろう。
もし最初に訊いていたのがおばちゃんじゃなくてこのおっちゃんだったら、おそらくおっちゃんも快くテントを張らせてくれたのではないか、そんなふうに思える。
すっかり暗くなってしまった中、河川敷公園の付近に到着。
あまりに広大な場所に見えたので、河川敷公園というのはいったいどこのことなのだろうと自転車の若者に訊いてみたら、
「このあたりの運動場のことを総称して河川敷公園と言ってます」と親切に教えてくれた。
「向こうにトイレがあります」とも教えてくれたので、喜び勇んでその場所まで行ってみた。
あまり細かく検討しているゆとりはなかったが、簡単に見回ってみて、もっとも落ち着く野球のグラウンドのネットの外に幕営した。

翌朝撮影
晴れのち曇り、朝6℃ (温度計の精度不良により4℃程度低く見積もっている可能性あり 2017/12/27追記)
始:6:55 ~ 終:18:20 歩行:28km
(西庄公園)0655 ~ (鴨川駅) ~ 0815(80番国分寺) ~ 0845(三嶋うどん)0940 ~ 1050(県道出合) ~ 1110(十九丁) ~ 1155(81番白峯寺)1230 ~ 1315(十九丁)1350 ~ 1430(82番根香寺) ~ 1630(岩田神社) ~ (ドラッグストア) ~ (岩田神社) ~ 1820(河川敷公園)
昨晩はシュラフをかけるだけで寝ていたのだけれど、夜が更けてから気温が下がり、2:30頃トイレに起きたときたまらずシュラフカバーを出した。
フライが夜露でびっしょり。
テルモスのコーヒーとパンを食べ、びっしょりのままテントを撤収して出発。
テン場の公園から鴨川駅まで、歩いて10分だった。
何はともあれまずはトイレを借りる。ようやく一息つけた。
80番国分寺(こくぶんじ)へ向い、開いていれば途中にある山下うどんでうどんを食べようと思っていた。
ここは、村上春樹の「讃岐・超ディープうどん紀行」の中に登場するうどん屋だ。その時に確信があったわけではなく、「だったような気がする」程度に思っていたのだが、旅から帰って久しぶりに読んでみたら、確かにそうだった。
残念ながら、坂出の山下うどんは閉まっていた。
開く時間も書かれてないので諦め。
そこからしばらくで高松市に入る(旧国分寺町)。
山下うどんは国分寺駅の近くにもあったのだが(よくよく見たら、地図に出ている山下うどんはこっちのほうだった)、こちらも開いてなかった。漂っている気配や匂いから、開きそうな雰囲気はあったのだけれど・・・。
近くで立ち話をしていたおばちゃん二人に訊くと、開くのは遅いという。
「いつ開いていて、いつ閉まっているのかもわからないわねぇ・・・」という話だった。
「そっちの三嶋うどんなら9:00頃開く」という。「三嶋さんのほうが何を食べてもおいしい」とも。
それなら参拝したあとに食べられそうだ。
おばちゃんは店の場所を詳しく教えてくれた。


80番国分寺 ここは午後五時に閉門されるようだ。書いてあるだけまだ親切といえる。


(左)本堂と、(右)大師堂
あれはダメ、これもダメ、でもお金はちょうだい。そんな感じのする寺だった。
8:45頃、おばちゃんの教えてくれた三嶋うどんに着く。国分駅前にある。
9:00開店と書かれていたので安心して待っていると、五分前に開けてくれた。
かま揚げうどんの大と油揚げをいただく。
かま揚げというのは釜から揚げたてのものをいただくということなのだろうけど、実のところ、「かけ」と「ぶっかけ」と「かま揚げ」の違いがよくわからない。「かけ」や「ぶっかけ」にも温かいのがあるから・・・。
季節にもよるだろうけど、個人的には、うどんは冷たいのを食べたほうがおいしい、というのが結論だ。
店のおばちゃんが話好きなえらく元気な人で、暫しお喋りにつかまる。
「もう少しでしっぽくができるから待ってて。食べさせたげるから」と言われるので、待ってご馳走になった。
「しっぽく」も旨かった。けんちん汁のようなものである。
おばちゃんの一押しは、メニューにもある「かやくご飯」。
「あと30分もあれば炊けるから食べてく?」とも言ってくれたのだが、さすがに失礼することに。


三嶋うどんの外観(左)と、自慢のしっぽく(右)


国分寺の先は山登りになる。道路脇にあるのはオリーブ畑。
今日も暑い。あまりに暑くて途中で半袖になった。
一本松で県道を横切り、さらにしばらく登ると十九丁に着く。
ここに荷物をデポして81番白峯寺(しろみねじ)を往復した。
白峯寺は非常に重みのある寺だった。
「十二支守本尊奉安之寺」となっていて、本堂と大師堂とは別に、干支ごとにお堂があるのがおもしろい。
例えば、未申年生まれなら大日如来様というように。
また、第七十五代崇徳天皇の御廟所があり、崇徳天皇を祭った頓証寺殿もある。


81番白峯寺


干支ごとにお堂があり、そこに可愛らしい石像がある


崇徳天皇を祭った頓証寺殿


崇徳天皇御廟所
白峯寺に長居となった。
十九丁まで戻り、パンを食べて休憩している間にびしょ濡れのフライを木に広げて干す。
完全には乾かなかったが、これでだいぶマシになった。
荷物をピックアップして82番根香寺(ねごろじ)へ。
やはり車道から山道に入るところに荷物をデポ。そこからすぐの距離だが、空身で札所を往復した。
根香寺も重みのある寺だった。


82番根香寺 (右)は本堂


(左)高野山にもこういう場所がある (右)樹齢約千六百年とされる白猴欅(はっこうけやき)の株(昭和五十年頃枯れてしまったらしい)
荷物をピックアップして山から下る。
下るともう高松の市街地である。市街に入りすぎるとはまりそうなので、今日のところは鬼無にある休憩所(岩田神社の前にある)で切るつもりでいた。
途中で入手した宿泊場所のリストには岩田神社とも出ていたので、休憩所か神社のどちらかに幕営できるだろうと目星をつけていた。


(左)山から下るともう高松の市街地である (右)60番横峰寺の手前でいただいた御守


(左)勝手に散歩してる犬が途中までついてきた (右)下界へ下ったら、いきなり尋常でない渋滞だった
山から下る途中には快適そうなテン場がいくつかあったが、下ってしまうとやはりテン場はなかった。
県道と交差するところに信号機がないため大渋滞の道路、そこを足早に通過してその先で踏切を渡る。さらにしばらく行ったところにトイレのある休憩所があった。
が、なんと休憩所は18:00に閉まるとあったので却下。
その目の前にある岩田神社を見てみると、そこにも珍しくトイレがあった。鳥居をくぐった先、随神門の手前に立派なトイレがある。素晴らしい。

岩田神社
この上ない物件なんだけど、あまりに立派な神社なので黙ってテントを張るのは憚られた。
随神門をくぐると社務所と、そのすぐ隣に住宅もあったので順に訪ねたのだが、あいにく留守だった。
うぅぅむ、どうしたものか。このままスルーするにはあまりに惜しい物件である。
たまたま神社の前を通りかかった買い物帰りのおばちゃんに、神社の人はどこにおられるのか尋ねてみると、なんと最近夫婦揃って亡くなったということだった。神社は今留守になっていて、少し離れたところに住む甥の方がたまに来て管理をされている、という話だった。
うぅぅむ、それでは許可のとりようがない。
試しに、テントを張っても大丈夫かどうか、おばちゃんに訊いてみた。
昨日のこともあるのであまり期待はしておらず、ダメもとで訊いてみたのだけれど、おばちゃんは躊躇もせずに「はい」と答えた。
なんと!完全に想定外の返事。
あまりに明確な返事だったので、安心して張らせてもらうことにした。
そうとなれば、ひとまず幕営するのはあとにして、まずは荷物を置いてスーパーへ。夕飯の買い出し。
スーパーのある場所もおばちゃんが教えてくれた。
この先の県道を1kmちょっと行ったところにドラッグストアがあり、そこで買い出しを済ませてルンルン気分で神社に戻ってきた。
テン場の検討をしていると、おっちゃんが一人やって来て、
「何をしている?」と仰る。
「かくかくしかじかの事情により一晩テントを張らせてもらいます」と説明すると、
「きちんと許可をとったのか?」と続けて仰る。
「かくかくしかじかの事情でして・・・」とさらに詳しくいきさつを説明すると、
「そのおばちゃんというのは誰なんだ?」という話に。
知らんがな・・・。
おっちゃんは、ハッキリ良いとも悪いとも言わない。
たぶん、自分らのことが目について、一言言ってやろうくらいのつもりで出てきたのだと思う。
「知っていたら管理している方の連絡先を教えてもらえないでしょうか?」と尋ねてみると、
「自分はそういう立場にないから」という返事。
ダメだこりゃ。
「(テントを張っても)良いという人がいても、嫌がる人もいる・・・」とおっちゃんの説教が続く。
そう、つまりはあなたみたいな人だ。
いろいろな考え方の人がいることなどもとより承知だが、神社を管理されてる方がいない以上、氏子の方全員の確認をとることなど不可能だ。
だからおばちゃんの意見で判断した。乱暴なやり方だけど、自分らの踏んだプロセスは決して間違っていないと思う。
ま、ダメだという人がいるなら張らないまでだ。もともとダメだといわれるところに強引にテントを張るつもりなど毛頭ない。
時間が押しているので、おっちゃんと押し問答している暇などない。
それならもう少し先へ行くか、ということにしておっちゃんとの話を切り上げた。
もうしばらく行けば河川敷公園というのがあることは知っていた。
最後の最後で今日もうまくいかなかった。
何か一言言ってやらないと気が済まない、たぶんそれだけのことだったのだろう。
もし最初に訊いていたのがおばちゃんじゃなくてこのおっちゃんだったら、おそらくおっちゃんも快くテントを張らせてくれたのではないか、そんなふうに思える。
すっかり暗くなってしまった中、河川敷公園の付近に到着。
あまりに広大な場所に見えたので、河川敷公園というのはいったいどこのことなのだろうと自転車の若者に訊いてみたら、
「このあたりの運動場のことを総称して河川敷公園と言ってます」と親切に教えてくれた。
「向こうにトイレがあります」とも教えてくれたので、喜び勇んでその場所まで行ってみた。
あまり細かく検討しているゆとりはなかったが、簡単に見回ってみて、もっとも落ち着く野球のグラウンドのネットの外に幕営した。

翌朝撮影
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