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大きすぎる鹿

鹿ってこんなに大きくなるのか・・・と、最初に見たとき思ったのがこの鹿(10月4日捕獲)↓

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推定80kgオーバーの牡鹿、年齢は5歳以上。完全に人が乗れる大きさ。

山の主だったのではないでしょうか。
鹿に限らずですが、大きいものには畏敬の念を抱きます。

大きな鹿というのはどこに一番すごさが現れるかと言うと・・・首まわりです。首の肉がとにかくすごい!
それから頭と足。こんなに大きいのは初めて見ました。
大きな頭と角を支えるために、首にはそれはもう並々ならぬ筋肉がついてます。並みの鹿とは構造が違うのではないかと思えるような肉のつき方です。

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あまりに大きくて、横たえると室内がほぼいっぱいに。

ロースが一本1.8kgもあり、大きすぎるので二つに分割してパックしました。
取れた肉は全部あわせて37kg!
脂がたっぷりついていたわけですが、それをきれいに削ぎ落とし、赤身だけで37kgもありました。いやーすごい。

ちなみに、一番よく捕れる鹿というのは30~35kgくらいのものです。
下のものは10月14日に捕れたものですが、このくらいあるとまあまあ大きいほうということになる。

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45kgくらいの牡鹿。このサイズで、取れた肉があわせて21kgほど。

今までに解体した中でもっとも小さかったものとなると、こんなバンビがいました↓

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腹抜き後の体重が11kg、取れた肉が全部あわせて3.5kg。
あまりに小さくはかなくて、かわいそうに思えてしまいますが、罠にかかってしまったものはしようがない。より心を込めて丁寧に解体しました。

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皮が柔らかくてきれいなのでもらって帰りました。
とりあえず塩漬けにしたまま、まだ処理できてませんが・・・。

さて、冒頭の大きすぎる鹿ですが、蹄も大きく見事できれいだったので、角と一緒にもらって帰ったのですが・・・ひとまず余分な肉を落とそうと庭に転がしておいたら、何日かしてタヌキかキツネかテンあたりに持ち去られてしまいました(涙)。
もちろんそれらの来襲を想定して、足の上に倒したクルミの木を積み上げておいたのですが、見事に崩されて四つとも持ち去られてしまいました・・・。
蹄の部分は食べないのだろうから、そこだけ返してくれんかな。隣の藪にでも転がってないかしら・・・冬に藪を整備するとき確認してみるとしよう。
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ラスト・イノシシ・・・かも?

9月3日の朝、いつものように散歩に出かけると、林間の道に入ってすぐ前方に軽トラが見えた。
あまり人の通らないところなので「おやっ」と思っていたら銃声がして、近づくとちょうどMさんがシシに止め刺しをしたところだった。
大きい・・・。

「ちょうどいいところに来た。血抜きするから手伝って」
ということで血抜きしやすい場所まで一緒にシシを引きずって、頭を斜面の下にして頚動脈を切る。
もう一人の人と、さらに応援に駆けつけた一人と、四人がかりで大猪を軽トラの荷台に乗せた。

それにしても立派な・・・。
見事な肉づきで、毛艶もいい。これは・・・という個体だった。
まだ9月。「この時季、山にはこんな大きなシシはいないよ」と、Mさんも驚いていた。

ご存知の通り、豚コレラが猛威を振るっている。
岐阜から始まり、現在東は群馬、西は滋賀まで広がったろうか。
このあたりでも10月3日には、いよいよ隣町の飯島町と松川町で野生のイノシシから豚コレラが検出された。まだ天竜川の対岸の話ではあるけれど、もう中川村内にも入っていると考えていいだろう。

そんなわけで、以前にも書いたとおり、7月13日以降、工房ではイノシシの受入れをストップしています。
豚コレラに感染した豚肉や猪肉を食べても人体には影響がないし、現時点でも保健所からは何も通達がないわけですが、積極的な受入れは行っていません。
が、今回のものは工房から僅か500~600mほどのところ、人家のすぐ裏で捕れた猪であるゆえ受け入れることになりました。

ということで、解体。
冷蔵庫に9日吊って、9月12日に解体しました。
6月以降設備を増設し、と体を吊るためのチェーンブロックが9台、フックが12個に増えたので、と体を長期間吊っておくことが可能になりました。
鹿なら3~4日、猪なら一週間から10日ほど吊ってから解体するというのがこのところの標準になってます。

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見事な毛艶、推定80kgオーバー。写真では大きさやボリューム感がうまく伝わらないですが・・・。

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牙はそれほど長くなかったので、年齢はそれほどでもないのかもしれません。4~5歳といったところでしょうか。

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脂がたっぷりついていて、皮を剥くのはすこぶるたいへんだった。
工房に入った猪は今年に入ってこれで6頭目。

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肉は余すところなくいただきます。
取れた肉は全部あわせて45kg!

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ロース

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ミルフィーユばりのバラ肉

こんなにいい部位ではなく端肉を持ち帰って試食してみましたが、めちゃくちゃ旨かった!
煮ても焼いても揚げても最高!
特に猪鍋、猪汁ですかね、そんな季節になってきました。
ぜひたくさんの方に味わっていただきたい。
興味のある方は、「かつらの丘ジビエ工房」のホームよりお問い合わせください。

今の豚コレラの状況を見て思うに、イノシシの数は激減するでしょうね。
まさか絶滅なんてことはないと思うけど、これから猪肉なんて食べられなくなるかもしれない。
近所の猟師が捕った猪肉を分けてもらうなんてのは変わらずできるでしょうけど、この先しばらく買って食べるのは難しくなるかもしれません。市場に出回る猪肉が激減するでしょうから。

ま、食べるなんてのは二の次ですね。心配なのはイノシシが激減することで生態系になんらかの影響があるだろうということです。
イノシシの獣害に悩まされている農家にとってはひとまず吉報かもしれませんが、その影響がこの後どのように跳ね返ってくるかわかりません。
歪は必ずどこかに出ます。エントロピーは増大しますから。

これからどういうことになっていくのか、見守るしかなさそうです。
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佐賀まで自転車を取りに行く その10 最終日

【10日目】
2019/4/1 月
雨のち晴れのち雪のち晴れ
始:7:30 ~ 終:15:00 走行:238km
(道の駅水鳥公園)0730 ~さざなみ街道~R8~ (長浜) ~県37~R365~ (関ヶ原) ~R21~ (岐阜) ~ (各務原) ~ (美濃加茂) ~ (土岐) ~R19~ (恵那) ~ (中津川) ~ (妻籠) ~R256~ (清内路トンネル) ~ (阿智) ~R153~ (飯田) ~ (松川) ~ 1500(清流苑) ~ (自宅)

朝になっても雨。
昨晩から断続的に続いていて、ときどき強く降る。

さざなみ街道をしばらく走ってからR8に出る。
長浜で県37に折れ、R365に出て関ヶ原へ。一月前に自転車で走ったのと同じルートを辿る。
R365は自転車で走ると怖い思いをするデスロードだが、当然ながら車で走ればそんなことはまったくわからない。

関ヶ原を越えると、急に晴れた。
青空が眩しい。

伊吹山地の影響だろうか、それほど険しい山が連なっているわけでもないのだが、関ヶ原の付近というのはこんなことがよくある。
それまで晴れていたのに関ヶ原の付近だけ急に雨が降っていたり雪が降っていたり、というのも珍しくない。

関ヶ原を過ぎたら、あとはひたすら中仙道を行く。
自転車で走ると迂回路を探すのに苦労するバイパスも、車で走れば高速道路のようなもの。
何の面白味もないけど移動するのは楽だ。
まさに絵に描いたような車中心の社会ですね、中京圏のここらは。

恵那に向かっているときだったろうか、新元号の発表をラジオで聞いた。
確かNHKのアナウンサーは第一声では「めいわ」と言っていた。命令の命に昭和の和と・・・。
頭の中で「命和」と描いて、すごい違和感を覚えた。「命」という字に何か特別な意味でもあるのか・・・と。
すぐに命令の令に昭和の和で「令和」と訂正されて、なんだそれならと妙に納得してしまった。
実のところ「令」という字にしても、「命令」以外で使うことなどまずない字であるから意味などわからないのだが、「命和」に比べれば「令和」のほうがずっとしっくりくる。

中津川を過ぎ、木曽路に入ると雪になった。
ぼたん雪がドカドカ降り始めたのでちょっと心配したが、無事に清内路トンネルを越えられた。
伊那谷側は明るい。しばらく下ると雪もやんで青空になった。
今日は天気が目まぐるしく変わった。

松川の清流苑に直行して、のんびり湯につかってから帰宅した。
琵琶湖の北端近くから238km・・・ずいぶん近く感じる。

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翌朝・・・夜のうちに雪が降ったらしい。

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一夜にして冬に逆戻りしたかのよう。
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佐賀まで自転車を取りに行く その9 余部鉄橋と経ヶ岬灯台

【9日目】
2019/3/31 日
曇り時どき晴れのち雨
始:8:15 ~ 終:19:20 走行:306km
(道の駅あまるべ)0815 ~R178~ (香住) ~ (豊岡) ~ (久美浜) ~ (浜詰) ~県665~ (浅茂川温泉) ~ (網野) ~R178~ (丹後) ~ (経ヶ岬) ~ (伊根) ~ (天橋立) ~ (岩滝) ~県2~ (宮津) ~R178~ (由良) ~R175~R27~ (舞鶴) ~ (五老岳公園) ~ (高浜) ~ (大飯) ~ (小浜) ~R162~ (三方) ~R27~ (美浜) ~ (敦賀) ~R8~ (琵琶湖) ~県44~1920(道の駅水鳥公園)

朝になると雨は上がっていた。
朝の散歩も兼ねて、まずは余部鉄橋を見学に行く。

正しくは「余部橋梁」ですね。特に今は二代目のコンクリート橋になっていますから。
ただし一部の鉄ちゃんの間では、今でも「余部鉄橋」と呼ばれている。余部の鉄道橋の略として。

ちなみに、駅名は「餘部駅」となる。
読みは同じく「あまるべ」であるが、異なる漢字を当てているのは、同じ兵庫県内に「余部(よべ)駅」というのがあるためだ。

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(左)旧駅に設置されていたもの、(右)現駅のもの
旧駅のものは現在、道の駅に隣接した簡易資料館のようなところの前に置かれている。

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同じく旧橋梁、いわゆる余部鉄橋の橋桁も現橋梁の下に展示されている。
すぐそこは日本海であり、橋の保守はさぞやたいへんだったことだろう。
1917年(大正6年)から1965年(昭和40年)まで、「鉄橋守」と呼ばれる人たち五人が常駐して維持管理を行っていた。
橋脚や橋桁の鋼材は当時日本にその技術がなかったために外国製で、橋脚の鋼材はアメリカから、橋桁の鋼材はドイツから、はるばる船で運んできたものである。

旧橋梁は1909年(明治42年)12月16日着工、1912年(明治45年)1月13日に完成、同年3月1日に開通した。
全長310.59m、下を流れる長谷川の河床からレール面までの高さ 41.45m。
2010年(平成22年)7月16日に運用を終了。翌7月17日から区間運休して旧橋梁の解体撤去作業が開始され、新旧切替工事が8月11日まで行われた。

現橋梁は2007年3月29日着工、2010年8月11日に切り替え工事が完了し、同年8月12日に開通した。
架設位置は旧橋梁よりも約7m南側(内陸側)で、これに伴い餘部駅のホームは従来線路の南側にあったものが北側に変更された。

2010年に新旧橋梁の切り替えが行われたときはニュースで大きく報じられたのだろうか?
自分らは日本にいなかったのでわからない。

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旧橋梁の橋脚と橋桁の一部は様々な議論の末に保存され、展望施設に整備されて活用されている。
新旧橋梁の位置関係が写真からわかる。

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展望施設の余部クリスタルタワー
中にエレベーターがあり、橋梁の上にあがることができる。
昨晩、はじめて暗闇に浮かび上がるタワーが見えたときは何事かと思った・・・。

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橋梁の上に出たところ
旧軌道が一部残っている。

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ちょうど列車が来た。

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もちろん歩いて駅まで上ることも可能。
帰りは歩いて下までおりた。

ときに、余部鉄橋では1986年(昭和61年)12月28日に列車の転落事故があった。
日本海からの強風に煽られて回送列車の客車が橋の中央部付近から転落したもので、橋の真下にあって列車が直撃した工場の従業員や、客車内に乗っていた人たちの中に数名の死傷者が出た。
当時ニュースで大きく報道されたのでおぼろに覚えている。

今回、この事故のことを少し調べていたら、関連して思いも寄らないことがわかった。
国鉄の記録によると、事故の時点で風による脱線は全国で16件あり、そのうち鉄橋からの転落は3件あったが、鉄橋からの転落で死傷者が発生したのは87年ぶり。
思いも寄らないことというのは、その87年前の事故というのが東北本線の矢板駅 - 野崎駅間にある箒川橋梁で起こっていたということである。
1899年(明治32年)10月7日に発生した日本鉄道(現在の東北本線)矢板駅 - 野崎駅間箒川橋梁からの客車の転落事故で、20人が死亡、45人が負傷した。

箒川というのは自分の実家からすぐのところにある川で、実家の最寄駅が野崎駅。
もちろん箒川に架かるその橋梁も列車に乗って何度も渡ったことがある。
が、ここでそんな大事故があったなんてことはこれまでまったく知らなかった・・・。
驚きました。

余部鉄橋をじっくり見てから出発。東へ。
香住の先で、本当は県道に入ってそのまま海岸沿いを行くつもりでいたのが、道路標示を頼りに走っていたらいつの間にか内陸のほうへ入っていた。
そのまま走っていると、またも自動的に山陰近畿道へ。
戻るのも面倒だし、天気も悪いし、まぁいいかと諦めてそもまま豊岡に抜けた。

竹野海岸のあたりを走れなかったのが残念だ。
同じく城崎温泉もパス。もっとも時間の都合で今回温泉に入るつもりはなかったけれど。
城崎温泉にはいつかそのうち行ってみたい。

久美浜で再び海岸線に出ると、その先の浜詰で今度は道を間違えた。
R178をはずれ、海岸沿いの狭い道に迷い込む。
そのまま抜けられそうなので海岸伝いに進んだ。

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いかにも日本海といった風景

R178に復帰し、いよいよ丹後半島。
丹後半島は初めてだ。目指すは経ヶ岬灯台。

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ようやく来ました経ヶ岬!
右下に見える駐車場に車をとめて灯台まで歩く。

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経ヶ岬灯台は、大好きな映画「新 喜びも悲しみも幾年月」の冒頭に出てくる灯台です。
そのうちと思いながらなかなか機会がなく、ようやく来ることができた。

今は灯台の東側からアプローチする道が整備されていて、今回もそちら側から登ったが、映画の撮影された当時(1986年)は西側からアプローチするようになっていて、映画の冒頭部分で大原麗子や中井貴一は西側からの道を登った。

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映画の中で大原麗子や中井貴一が登ってきたのはこちらから

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経ヶ岬灯台が無人管理に移行したのは、映画の撮影された二年後の1988年

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なかなかダイナミックな空模様
沖で雨が降っているのがわかる。

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灯台から少し登ったところにある展望所から、岬の西側の海岸線(丹後松島方面)を望む

経ヶ岬をあとにして、丹後半島をぐるりと回る。
伊根を抜け、天橋立へ。
天橋立は二人とも来たことがあるので(といっても自分はほぼ30年ぶりだったが)今回はスルー。
こんな時季でもけっこうな人出なのはさすが。

宮津湾をぐるりと回って舞鶴へ。
舞鶴にある海上保安学校というのも、映画「新 喜びも悲しみも幾年月」にチラッと出てくる。
映画はまさに中井貴一扮する青年が海上保安学校を卒業するシーンから始まる。

マユミのリクエストで五老岳公園に寄った。
自分は原作を読んだことがないので知らないが、山崎豊子の「不毛地帯」の最後にここが出てくるらしい。
シベリア抑留者が日本に帰還する際に上陸したのが舞鶴港で、それを記念する記念碑のようなものを山の上に建てたということだったが・・・行ってみたらそれっぽいものは特になかった。

後日調べてみたら、「引揚者用の桟橋が設置されていた平地区を見下ろす丘に引揚記念公園が開設され、その一角に舞鶴引揚記念館が建設された」とあったから、そこと勘違いしたのかも。
また別の機会に見てみたいと思います。

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五老岳公園からは舞鶴湾が一望できる。

再びR27に出て東へ向かうと、自衛隊桟橋のところでは何か海自のイベントが行われているらしく、海自の護衛艦が何隻か碇泊していて、それを見に来ている人が大勢いた。

高浜、大飯、小浜、三方、美浜と走って敦賀へ抜ける。
こうして走ってみると、福井県には原発が集中しているというのが改めてよくわかる。
高浜、大飯、美浜、敦賀と、ほとんど隣と言っていい位置関係に四基もある。さらに、敦賀原発と美浜原発の間には廃炉作業中の高速増殖炉もんじゅまである。

敦賀からR8に入ると、反対車線が大渋滞していた。
北陸道のどこかで大きな事故があったらしく、どうやらすべての車が高速から下ろされているらしい。
敦賀まで一本道で他に抜け道はないが、いったいこれらの車が敦賀まで抜けるのにどのくらいかかることやら・・・。

琵琶湖へ抜けても反対車線の渋滞はなお続いている。
暗くなって雨も降ってきた。
このままR8を走っていても寝場所は見つからないので、湖岸のさざなみ街道に出る。
こっちは真っ暗で、今度は何がどうなっているのかよくわからない。

結局、この日は道の駅水鳥公園に車をとめて寝た。
雨のためテントは諦め、最後の晩も車中でビバーク。

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翌朝撮影
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佐賀まで自転車を取りに行く その8 山陰道

【8日目】
2019/3/30 土
曇り時どき雨
始:7:00 ~ 終:19:00 走行:406km
(道の駅長門峡)0700 ~R9~ (津和野) ~ (日原) ~ (益田) ~ (三隅) ~ (浜田) ~ (大田) ~県287~ (出雲) ~R431~ (出雲大社) ~ (宍道湖) ~ (松江) ~ (美保関) ~ (境水道大橋) ~ (境港) ~ (米子) ~R9~ (赤碕) ~ (大栄) ~ (青谷) ~ (鳥取) ~ (大谷) ~R178~ (浜坂) ~ 19:00(道の駅あまるべ)

ひたすら山陰道を行く。
天気は予報ほど悪くはなかったが、時どき雨に降られた。

のんびり北上して、野坂峠を越えると津和野。
日原で津和野川が高津川と合流し、高津川沿いに下っていくと益田で日本海に出る。

山陰道は海岸線に沿って続く。
浜田、石見の砂浜、江の川、温泉津・・・ところどころ景色に見覚えがある。

大田で国道を離れ、並走する海沿いの細い道を鳥井の方へ走っていると、パトカーがついてくる。
国道を外れたときから気付いていたがそのまま無視して走っていた。そうする以外ないし。
しばらくすると後ろから止められた。

またか。また職務質問か!

「ブレーキランプが切れてます」というのが表向きの理由だったが(もちろん注意だけで見逃してくれましたが)、職務質問が主目的であることは明らか。
最近は家出の人などが多いらしく、他県ナンバーの車が下手なところをうろうろしてたりするとすぐに止められる。
ナンバーや免許証の照会だけで済むことではあるけれど、なんとも面倒なことになっている。
車中泊ブームのようなものも手伝ってか、確かに家財道具一式を積み込んだような車も以前に比べて見かけるようになったし、無理もないことだろうか・・・。

それはそうと今度はブレーキランプか。
ポジションランプにヘッドランプときて、ブレーキランプ。バルブ関係がいっぺんにきた。
次はウインカーか?

「すぐにGSなんかで交換してください」と言われたけど、帰ってからのんびり交換することにしよう。

出雲でいったん山陰道を離れ、出雲大社の前をかすめて宍道湖の北岸を走る。
松江から美保関へ抜け、境水道大橋を渡って境港へ。
懐かしの境港。以前幕営した場所も変わってなかった。

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出雲大社の前にて、この日撮った唯一の写真(しかも車内から)

弓ヶ浜に沿って走り、米子の先で再び山陰道に出る。
名和のあたりに来ると右手に大山が見える。

由良の手前あたりからバイパスが整備されていて、道が高速道路のようになる。
退屈なので旧道のほうを走りたいが、自然にバイパスのほうへ導かれるので旧道を辿るのはなかなか難しい。

千代川を渡る頃には日が暮れた。
30年ぶりに鳥取砂丘を拝もうと思っていたのに、ここでもバイパスに吸い込まれて何の感慨もないまま通過してしまう(バイパスからは山の向こうでまったく見えない)。
駟馳山峠も今ではトンネルができていて、それとわからず通り過ぎてしまった。

大谷ICでようやくバイパスを下りてR178に出る。
R178のほうも道がだいぶ変わっていて、かつての海岸沿いのワインディングロードも長いトンネルであっという間にワープしてしまう。
暗くなってしまったのでもう何がなんだかわからない状態だ。
浜坂のスーパーで買い出しをして、ついでに軽く食べてこの日も夕食を終える。

浜坂からは、今では山陰近畿自動車道というのが延びていて、R178を走っているといつの間にか現在は無料のこの道路に導かれてしまう。
それでは寝場所が見つからないので、暗闇の中、迷いながら苦労して旧道の但馬漁火ラインのほうを走る。

そしてようやく着いた余部鉄橋。
暗くてよくわからないが、現在はコンクリート橋の下に道の駅がある。
見学は翌朝するとして、適当なところに車をとめてこの日は寝た。

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翌朝撮影
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